-「神話の世界」を小説に① -

2022/09/30

 

前回のアメノマナイでは、あるデビュー前の無名作家が書いた「太陽と月と星」という三貴神=アマテラス・ツクヨミ・スサノヲを題材にした短編を紹介した。

 

意外にも。コレが予想外に好評で、会員・書生以外にも「続きが読みたい」というeメールがこのコラムで紹介した当初は1日20件以上来ていたそうだ。

そこで、特に優先する紹介情報が無い回のコラムについては、今回からしばらくこのシリーズを紹介していこうと思う。

 

そんなわけで。さっそく行ってみよう。

 

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あまくに~天国

 

いつのことかも定かでない、遥かなる神代(かみよ)の昔。1人の若者が命からがら、現代でいう和歌山県に逃げこんできた。

このころの和歌山県は、木が多いからだろう。「木の国」と呼ばれている。

(後に「紀の国」「紀伊国」「紀州」となる。)

 

この若者、「出雲(いずも)の国」(島根県東部)の王子で、名をナムチという。

後に王になった時、「大」がついて、オオナムチとなる。

 

しかし、この時点では、王になれる可能性はかなり薄そうに見えた。なぜならば兄弟、つまりライバルが多いうえに、彼らから憎まれていたから。

 

ナムチの兄弟は、ひとまとめに「八十神(やそがみ)」と呼ばれる。

八十(やそ)とか、八百(やお)、八千(やち)、八百万(やおよろず)など、単に「たくさん」という意味で、本当に80人の兄弟がいたわけではない。

例えるなら、八百屋さんも800種類の商品を売ってるわけではない。

 

ナムチは優しく男前だが、人が良すぎて、ヘタレなところがあった。そういうところが女性の心をつかむのか、彼は生涯にわたってモテた。だから妻も子も、たくさんいる。

 

八十神たちのアイドル的存在だった、「因幡(いなば)の国」(鳥取県東部)の王女「ヤガミ姫」も、ナムチに惚れて、八十神たちの求愛を蹴ってしまう。

 

これがきっかけで兄弟たちの恨みを買うことになったナムチは、2回も殺されかけた。

(1回目は焼けた大石の下敷きに、2回目は大木に挟まれて)

2回とも心臓が停止したが、奇跡的に蘇生した。

 

ナムチの母は、このままでは3度目の正直で、今度こそ殺されると思い、つてをたよって、「木の国」へとナムチを亡命させたのだ。

 

 

現在の和歌山市秋月、ここに、腹違いの兄で「木の国」の王、イソタケルの王宮がある。

「よう来たな、ナムチ。話は聞いたぞ…モテる男は大変やな! まあ、ゆっくりしていけ」

 

ちなみに、このイソタケルは後に林業の神として祀られ、王宮のあった地には、社殿が建てられる。

が、ヤマト勢力の進出にともない、奥地へと追いやられ、伊太祈曽(いたきそ)の地に鎮座。

現在の「伊太祈曽神社」となる。

イソタケルの社を立ち退かせた跡地には、ヤマト朝廷と関わりの深い「鏡」を祀る社、「日前(ひのくま)神宮」が創建される。

 

話を戻し…

 

ナムチを歓待していたイソタケルだが、物見から報告が入ると、顔を強張らせ、「ナムチ、追っ手の軍勢が、すぐそこまで来とるようだ… ここも危ない」

 

「あうう… ここもダメとなると、一体どこへ… 」

 

「クマノへ逃げなさい。我々が追っ手を食い止めとくから」

 

ナムチはひるんだ。「クマノというと、まさか…」

 

「そう… 『黄泉比良坂(よもつひらさか)』を通って、『根の国』へ行くのだ。そこまでは、あなたの兄弟も追ってこれんやろ」

 

クマノ… そこは、死者の世界と言われている。イソタケルの2人の妹に案内され、ナムチはびくびくしながら、山道を進む。

巨木がそびえ、空も見えず、霧の中に果てしなく続くこの道は、まさしく冥界の入り口、『黄泉比良坂』そのものだ。

 

(この道の果てにたどり着くのは、やはり…『根の国』(冥界)なのだろうか…)

2度も死の世界から帰還したナムチだったが、今回のように生きながら冥界へと降るのは初めてであり、なんとも薄気味が悪かった。

 

 

『根の国』へと、到着した。

 

そこは現在、「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる、熊野川の中州の島で、後世、熊野本宮の社殿が建てられる場所である。

(さらに後の明治時代、洪水で社殿が流され、現在鎮座する社殿地に遷った。)

 

 

この古代世界の大斎原は、こんもり繁る森と、白い小石を敷き詰めた聖域があるのみだが、恐ろしいほどの霊気が立ちこめている。

ここは、この世の場所にして、この世ではない…

 

「霊が飛び交っている…」

 

ナムチは初めて、霊魂というものを見た。それも、おびただしい数の。虫、蛍、蝶… いや、鳥というべきか。星のようでもあった。

 

白い小石の聖域に、1人の男が座っている。ヤマタノオロチを滅ぼし、出雲の国を平定した英雄…

 

ナムチは、対岸から呼びかけた。「お久しぶりです、父上… 逃げてきました」

 

ナムチとイソタケルの父、スサノオは目を開け、無数の魂の舞い踊る様を見つめた。

 

「あれから、どれだけの月日がたったかな…小舟に、わずかな水と食料を積み、大海原に流されたあの日から…」

 

セグロウミヘビとともに黒潮に乗って漂流した日々…

 

出雲の国に流れ着き、邪悪なヤマタノオロチと戦った日々…

 

そして出会った妻たち、授かった子供たち。

 

回想は、バシャバシャと跳ねる水音に破られた。

 

「父上、ここが本当に『根の国』なんですか?」

 

ビクビクしながら川を渡ってくる息子に、ようやく目を向け、

 

「正確には、ちがう」

 

「え?」

 

「簡単に言うと、この場所は『根の国』とつながっている。火山から蒸気が噴き出すように、『根の国』の霊気が漏れており、この場所を何者も近づけない聖域にしているのだ」

 

息子をしげしげと見て、

 

「お前、よくここに入りこめたな… たいていの人間は、恐怖で近寄れないものだが」

 

ナムチは大斎原に上陸し、白い小石の上に立った。

 

「私も恐ろしかったですよ… けど、追っ手が」

 

そういえば、道案内をしてくれたイソタケルの2人の妹も、いつの間にかいなくなっている。

 

「お前の兄弟たちは、ここまで入ってこれん。あいつらにそんな度胸はない…イソタケルだって、川を渡る勇気はなかった」

 

ということは… 

俺のせがれたちの中で、こいつが一番度胸があるということか。

出雲の国を継がせるべきは、こいつか。

しかし、どうにも頼りなさそうな感じだが…鍛えれば、モノになるのか?

 

ナムチは、ほっとした様子で、

 

「そうですか。じゃ、ここにいれば、私は安全…」

 

その時。

 

スサノオの背後の森から、美しい娘が現れた。

 

ナムチの目は、娘に釘付けになった。

 

「おう、娘のスセリだ。お前の妹… って、ことになるのか」

 

もちろん、腹違いの。

 

スセリはナムチを見ると、顔を赤らめ、横を向いてしまった。

 

森に花を摘みに行っていたらしく、ひとつかみの花束を手に、もう一方の手で、長い髪をいじっている。

照れ隠しなのか、手にした淡いピンクの花を、なめてみる。

 

雫の浮いた花弁を、チロチロと赤い舌でなめる仕草は、少女とは思えないほどのエロティシズムが漂っている。

 

ナムチはスセリに近づき、野の花を摘むように、スセリの手から花束を、そっと奪い取る。

 

「私の体の余っているところで、あなたの体の足りないところをふさいで…2人でひとつになり、国を作ってみませんか?」

 

スセリの顔がさらに紅潮したが、その瞳は、恋と好奇心と目覚めたばかりの情欲で輝いていた…

 

 

 

 

 

延長(えんちょう)5年(西暦927年)、第60代・醍醐(だいご)天皇の御世。

 

「ふうぅ…」

 

真砂(まなご)の集落の、庄司の屋敷で、清音(きよね)はため息をついた。

後家になって、2年になる。

オオナムチとスセリ姫の神話は、彼女の好きな話で、亡き夫が寝物語に、よく語ってくれたものだった。

 

この後、父のスサノオは、ナムチにさまざまな試練を課す。毎回ピンチになるナムチを、一途なスセリが手をつくして助ける。

 

(私だって好きな人のためなら、どんなことをしても…)力になってあげる、と清音は思う。

 

やがてナムチはスセリと夫婦になり、根の国を脱出。

スサノオから武器を授かり、憎い「八十神(やそがみ)」たちを倒す。

そして「大国主(オオクニヌシ)」の称号を得て、出雲の王となる。

 

メデタシ、メデタシ…

 

この神話の舞台が地元だという点も、気に入ってる理由の1つだろう。

屋敷の前の道を、八十神に追われるナムチが通り、帰りはスセリと手を取り合い、出雲へと帰還するのだ。

 

「いいなあ…」

 

と、清音はつぶやく。

ナムチとスセリは、前世からの因縁で結ばれていた、運命のカップルだったにちがいない。

 

「私にもきっと、そんな運命の人がいるはず…」

 

夫は、私を裏切った。

部屋を整理していたら出てきた、熊野に伝わる神話をまとめた夫の書き物を細く引き裂いて、熱く疼くような22才の体を、敷物の上に横たえる。

 

くっきりした二重瞼の、猫のような瞳。

柳のような、ほっそりとした体つきも、猫っぽいしなやかさがある。

いつも何か困ってるような眉をした、かよわい、守ってあげたくなるようなタイプの女だった。

 

「あの人じゃない。私の運命の人は…」

 

あんな裏切り者の夫が、運命の人であるはずがない。

 

「きっと、だれか他にいる… きっと…」

 

その時、屋敷の門の方で、騒いでいる声が聞こえた。

下女の話だと、熊野坐神社(くまのにますじんじゃ=熊野本宮)に参拝する旅人が、一夜の宿を乞うているらしい。

 

「馬小屋でもいいから」と言うのだが、なにぶん不気味な奴で、門番が追い払おうとして、先ほどからモメてるとのこと。

 

「僧ですか、修験者(しゅげんじゃ)ですか?」

 

「いえ、刀鍛冶(かたなかじ)らしいです。大和(やまと)の天国(あまくに)と、名乗っております」

 

「泊めてあげなさい。馬小屋と言わず、土間にでも」

 

田舎で退屈な毎日を送る身にとって、旅人は貴重な情報源である。

どれほど不気味な奴なのか、興味もわいた。

下賎な職人風情に、女主人がわざわざあいさつに行くことは通常ないが、暇だったのと好奇心から、清音は土間に向かった。

 

なるほど、職人らしき男が土間にうずくまって、何かを研いでいる。

清音に気づくと、あわてて向きを変え、平伏した。

 

「奥方さま、ご親切にどうも… せめてものお礼に」

 

土間にかけてあった、鎌やナタを研いでいるのだという。

 

清音は、男が向きを変える時の動きが、不自然なのに気がついた。

 

「そんなことは、しなくていいから。後で、湯づけでも運ばせましょう。それより、お前… 足にケガでもしているの?」

 

男が、顔を上げた。

清音は、ハッとした。

片目がない。

左目が、暗い空洞になっている。

 

男は、すうーっと立ち上がった。

清音は、またしても、息を飲んだ。

左足が、もものつけ根から、なかった。

 

片目片足の刀鍛冶、天国(あまくに)。

そのおぞましき姿に戦慄が走った清音だが、なぜか目をそらすことができない。

一本足で、揺らぎもせずに立っている男を見ているうち、涙がひとすじ、頬を伝う。

 

「お前… その体で、この熊野の山道を……」

 

天国は、暗い笑みを浮かべ、

 

「慣れております」

 

大和での住まい兼仕事場も、唐傘山(からかさやま)という山の中腹にあり、杖をついて山道を登るのは、日常的なことだと。

 

「むしろ、それが修行なのです」

 

 

清音は飯と漬物と白湯を、下女に用意させた。

天国はそれをいただきながら、身の上話… といっても、ここ数年のことに限った内容だが、清音に話してきかせた。

 

刀の売りこみで、京の都に出た時のこと。

左大臣忠平(ただひら)に仕える、相馬小次郎(そうま の こじろう)という、若い坂東武者(ばんどうむしゃ)と出会った。

小次郎は、天国の打つ刀をたいそう気に入り、その腕を高く評価したうえで、こんなリクエストをしてきたという。

 

「なあ、天国。こんな刀は作れないだろうか。切れ味は鉄兜をも真っ二つにするほど、なおかつ、容易なことで折れない曲がらない頑丈さをもつ…そんな夢の刀を」

 

折れないためには、衝撃を吸収するよう、刃を柔らかくする必要がある。曲がらないためには、刃を厚く、硬くしなければならない。

 

「折れず、曲がらず、よく切れる」

 

小次郎の要望は矛盾を含んでおり、そんな刀が現実にあったら、まさしく「神剣」と言えよう。

 

しかし、天国は答えた。やってみましょう、と。

 

こうして「夢の刀」の研究を始めたが、あれこれやっても失敗ばかりで、アイデアに煮詰まってしまった。

そこで熊野本宮に参拝し、霊感を授けてくれるよう、祈願するつもりだったのだ。

 

清音は、刀の話なんかに興味はなかったが、天国がそのおぞましい姿にもかかわらず、都の人々とつき合いがあることに驚き、また、刀の話をする天国の独眼が、きらきらと輝いて、意外に美しいことに、心を打たれた。

 

「…お前の、その訛り。生まれは大和ではなく、出雲ではないの?」

 

天国は、じっと清音を見つめた。

 

「…そのとおりでございます。よく、おわかりで」

 

このころには、日本各地から熊野に巡礼が通うようになっており、旅人を家に泊めてやる機会も多く、それで清音は出雲訛りを覚えていたのだが…

 

余計なことを聞いてしまったようだ、と清音は気づいた。天国は出雲の出であることを、隠しておきたいようだ。生まれ故郷に、いやな思い出でもあるのかもしれない。あのような姿になったことと、何か関係があるのか…

 

「ごめんね、変なこと聞いて。許しておくれ」

 

「いえ…」

 

天国は、目を伏せた。

 

「奥方さまは、美しい方です… 何より、心のお美しい方です」

 

清音は、顔を赤らめて、立ち上がった。

 

「もう夜も更けました。明日は朝食をとってから、おたちなさい」

 

 

 

その夜。

土間で、天国が藁にくるまって眠っていると…ふいに、良い匂いが漂ってきた。

顔を上げると、そこには…

 

薄物だけをまとった、全裸の清音が立っていた。

 

射しこむ月光に、汗でしっとり濡れた肌が、光っている。清音は泣いていた。上気した頬を、涙が伝っている。

 

「眠れないの… こんなことをしては、いけないのに…でも、もう… 一人で寝るのはイヤなの!」

 

天国が反応する間もなく、清音は覆いかぶさってきた。

 

ワラにまみれ、天国の引き締まった体に、蛇のように巻きつく。

太ももに挟まれた、天国のただ1本の足が、ひんやりと湿るのを感じた。清音の秘められた部分からも、涙が流れていたのだ。

 

天国も、もはや進むしかなかった。

固くなった清音の胸の先に顔を押しつけ、両手は、ぬめる肌をまさぐった。

顔を上げると、涙に濡れた、酔ったような切ない瞳があった。

 

喘ぐ口から、うごめく赤い舌と、糸を引くものがのぞいていた。

熱い息を浴びているうちに、天国も酔ったようになり、かつて経験したことのない感覚が、湧き上がってきた。

 

(俺は、この女と… はるか昔に会ったことがある…こうして、まぐわったことがある……)

 

いつの間にか、土間も屋敷も消え… 

互いの体をむさぼり合う2人の周りを、無数の光る虫… 蛍か蝶、あるいは鳥か、星のようにも見えるものが飛び回っていた。

 

それは、決して起こるはずのない奇跡。

 

一瞬の数千分の一より短い時間、蘇ってきた前世の記憶。

 

 

 

翌朝。

 

清音は、天国を見送らなかった。寝床で身を固くして、己を恥じていた。

私は、なんということを… よりによって、あんな卑しい、あんなおぞましい男と… あさましいにも程がある。

 

体を洗い清めたはずだが、乱れた髪の間から、ワラくずが出てきた。

夕べの記憶がよみがえり、恥ずかしさに体が熱くなる。

が、恥ずかしさだけではない… 清音の体は、またしても涙を流していた。

 

(私には、運命の人が待っているはず… 前世から結ばれる因縁の、私だけを待っていてくれる人が…)

 

「運命の人」

 

そういうのは、もしかしたら、あるのかもしれない。しかし「運命の人」に出会っても、気づかないのでは意味がないだろう。

 

 

山道を2本の杖をついて、天国はひょいひょいと歩いていく。

帰りはもう、この道を通ることはできない…

 

熊野本宮からまっすぐ吉野に北上する、「奥駆け」を通って帰ろう。

このルートは修験者の使う険しい山道で、山歩きに慣れた天国でも命をかける必要があった。

 

あの人と夫婦になって、一生をともに暮らせたら…そんな、かなうはずのない夢が一瞬、頭をよぎった。それは許されない。

 

「俺には、やらねばならないことがある…」

 

相馬小次郎のオーダーに答えて、「夢の刀」を完成させること。それもある。

 

しかし、もっと大きな野望、やり遂げねばならない使命があった。

 

この国に、「逢魔ヶ時(おうまがどき)」をもたらす。

 

そのために、俺は生まれてきたのだから…

 

 

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どうだっただろうか。なかなかの作家だとわたしは思っているのだが。。。

 

余談だが、出版社を経営する知人に原作を見せたところ関心を示したので、作家の方を仲介しようかとも考えているところだ。

 

ということで、今号はここまで。また次回以降のアメノマナイで続きを紹介するとしよう。

 

 

秀麻呂