-「ありがとう」と「ばかやろう」-

 

 

私は20代後半の時にオートバイで事故を起こし、左半身に重傷を負った。

 

さらに、それが原因でそれまで利き腕だった左腕には後遺症が残った。利き腕の左腕はこの時、ピクリとも動かなくなった。

 

何も持てない。もちろん字も書けない。右腕は幸い軽傷だったので、その気になればなんとか字も書けたのだが、まともな字では無い。とてもイライラしてストレスがたまる毎日だった。

 

それまで、箸がふつうに持てること、字がすらすらと書けること、両手が自在に動くということがどんなにすごいことなのか、あたりまえのことがどれほどありがたいことなのか、どんなに幸せなことなのか、この時に初めて気づいたのだ。

 

今はリハビリのかいあって、生活するのに不便がない程度にすっかり回復しているが、利き腕は右に代わっている。箸を持つのも、字を書くのも、右手だ。

 

日本人は右利きが多いので、今の方がいちいち「左利き?」と質問されないから、むしろ自然に見えているのではないかと思う。

 

当時の私は、勤め先だった会社の花形部門で新事業や新商品の企画をしたり、説明の原稿を書いたり、イラストを書いたり、広告のデザインをしたり、というわりと人気の部署にいて、社内外でいくつかの賞をもらったりする、いわゆる会社のホープと見られていた。

 

だから入院した当初は、こう思った。

 

「...オレの人生は終わったな。こんなザマではイラストの1枚も描けやしない。まったくざまぁねぇや、大ばかやろうだ。」

 

そして左手を見ながら、手が動くことがあまりにもあたりまえすぎて、今までまったく感謝したことがなかったな、などと思ったものだ。

 

この頃の私は自暴自棄になり「もうオレなんて生きていてもしょうがない...」などとも思っていたのだが、ある日の朝、というよりはもう昼に近い時刻のことだ。

 

病室で寝ている私の横で、母がなにやらブツブツと独り言を呟いているのに気がついた。なんとなく気まずくてそのまま寝たふりをしていたのだが、聞き耳を立てているとそのブツブツの内容は神への御礼だった。

 

「〇〇さま、ありがとうございました、ありがとうございました、息子はおかげさまでこれからも生きていけます、ほんとうにありがとうございました、ありがとうございました...」

 

こんな調子だ。

 

不思議なもので、あぁそうか、まだ生きているのか、死んでもおかしくない事故だったらしいから、そう言われればありがたいことなのかもしれないな。そう思ったことを覚えている。

 

つられて私も胸の内で「神さま、命だけでも助けてくれてありがとうございました。」左腕には「今までありがとうな。ケガさせてゴメンな。」などと心の中で呟いていた。

 

すると、翌日。

 

いつも左手に意識が向いては、思うように動かないのでやむなく右手を使う、という具合だったのだが、この日は左手がピクっと動いたのだ。なんということか。この時の感激は今でも忘れられない。

 

それからというもの。リハビリの時間になるたびに「ありがとう」だ。

 

ピクっとしたらありがとう、指が動いたらありがとう、物が持てたらありがとう、両手で顔を洗えるようになっては、ありがとう、とにかく毎日、ありがとう、ありがとう。

 

さすがに、今も左では以前ほどに箸を使えないし、字もすらすらとまでは書けないのだが、その分は右腕がメキメキと利き腕の役目を果たしてくれるようになり、これもまた、ありがとう、だ。

 

今は右利きの人とほぼ同じような日常生活ができていると言っても、まあ良いだろう。

 

ただ、右手で箸を持つとたまに子供のような×持ちになってしまう。変なクセがついてしまったのは、この時の感謝を忘れないためだろう。

 

「ありがとう」には不思議な力がある。

 

まず病室の花が元気になった。自暴自棄になって、毎日、毎日、「ばかやろう」「ちくしょう」を呟いていた時には、見舞いに花なんて持って来られても邪魔なだけだと思っていた。

 

お見舞いの花束は、母や当時の彼女が花瓶に活けてくれていたのだが、3日も経たずに萎れて処分していたように思う。

 

だが「ありがとう」と言うようになってからは、花瓶の水はただの同じ水道水なのに花は元気ハツラツなのだ。

 

その後、私はリハビリとして幼少期から少年期にかけて母から学んでいた「書」を再開、退院後には藤原北家世尊寺流の第十八代を襲名して神代文字とその書術・秘術のすべてを現代版に再構築した「神心書道」を考案し、数名の有志たちと共に休日を使って文化活動を始めることになる。

 

母親が書道師範だったとはいえ、私がその気になった一番の動機はこのリハビリ期間に経験した「神のエネルギー」「言霊のエネルギー」といった無限のフリーエネルギーともいえる力を自らが実体験したことにある。

 

断言しよう。神はいる。そして、神はあなたも守護している。

 

断言しよう。言霊はある。そして、あなたが気づくのを待っている。

 

ここで、ある「実験」を紹介しておこう。「水からの伝言」や「水は答えを知っている」というタイトルの写真集がある。ベストセラーになったことがあるので、今でも手に入りやすいだろう。

 

2本のまったく同じ空のペットボトルを用意する。これに同じ水道の蛇口から同じ水を入れる。片方のペットボトルには「ありがとう」と書く。もう片方のペットボトルには「ばかやろう」と書く。

 

この2本のペットボトルを冷凍庫で凍らせて、1日寝かせる。

 

このペットボトルの水の結晶を顕微鏡カメラで撮影すると「ありがとう」と書かれた方の水は透明感のある宝石のごとく美しい結晶が写る。「ばかやろう」と書かれた方の水は、それは醜く無残な結晶が写る。

 

「ありがとう」と「ばかやろう」では、ペットボトルに書いただけでもこんなに違うのだ。そして人間のカラダは、成人の平均値で約60%〜70%が水分である。

 

この実験は、ちょっともったいないが炊き立てのご飯や「みかん」などの傷みやすい果物でもできるので、興味がある人は自分でも試してみると良いだろう。

 

今日、この時からでもいい。きれいな言霊を使いなさい。

 

「ありがとう、うれしい、たのしい、だいすき、ついてる、しあわせ、あいしてる」など、自分が言われたら嬉しい言霊を使いなさい。

 

醜い言霊とは縁を切りなさい。

 

「バカ、あほ、死ね、うざい、きもい、てめえ、批判・愚痴・悪口・怒り、悲しみ」など、自分が言われたら哀しい言霊は、意識して使わないように心がける。

 

あなたの周りにそういう人がいるなら、なるべく近づかない。

 

特に「怒り」の言霊は発した自分に帰ってきてしまう。ウソでも冗談でもなく科学的にも証明されている。なぜか?

 

それは「毒素」を自らの体内に作ってしまうからだ。怒りは心拍数を上げる。頭や胃が痛くなる人もいる。この原因が「怒り」によって作られる毒素なのだ。

 

このさいだ。醜い言霊には悪いエネルギーが実在することも証明しておこう。

 

こんなレポートがある。ある理化学研究所が、人為的に作られたシチュエーションで「怒り・苦痛・恐怖・悲哀」などのネガティブな感情を被験者に持たせて、その感情が引いていない時に採取された人の体液(血液など)を採取し、生理食塩水で1万倍に希釈した溶液を実験マウスに注射する、という実験を行った。この実験結果だが、100%全てのケースが「即死」だった。

 

逆に「喜び・笑い」などの楽しくポジティブな感情で全く同じ実験をした場合、マウスは平均寿命以上に長生きした。

 

だから、くり返す。今日、この時からでいい。きれいな言霊を使いなさい。

 

「ありがとう、うれしい、たのしい、だいすき、ついてる、しあわせ、あいしてる」など、自分が言われたら嬉しい言霊、良いエネルギーを使いなさい。

 

憎しみ、妬み、嫉み、羨み、怒り、疑い、迷い、不平、不満、咎め、イライラ、セカセカ、そんな心に時を使うのは、もうやめること。

 

 

秀麻呂