- 歌会始の儀 in 皇居(松の間) -

2021/06/01

 

さて、そろそろ「コロナウィルス騒動」も、実体はもういい時期だろう。

そこで今回のアメノマナイだが、今年3月26日に皇居の「松の間」で行われた「歌会始の儀」というのをご紹介したいと思う。

 

その前にカンタンに前説するが、人々が集まって共通の御題で歌を詠み、その歌を披講する会のことを「歌会」という。日本列島における和様の普及を目指して奈良時代にはすでに盛んに行われていたことは「万葉集」にある通りだ。

 

天皇が催す歌会を「歌御会=うたごかい」といい、宮中では年中行事としての歌会などのほか、毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)が催されるようになった。これらの過程で天皇が「年の始めの歌会」として催す歌御会を「歌御会始=うたごかいはじめ」というわけだ。

じつは起源は明らかでなく、辿れるのは鎌倉時代中期に亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われた記述まで。「外記日記」という文献に「内裏御会始」と明記がある。

 

以後の歌御会始は、江戸時代になるとほぼ毎年催され、明治維新後にも明治2年(1869年)1月に明治天皇による即位後最初の会が開かれた。その後も、今日まで連綿と続けられている。

 

明治7年(1874年)からは一般の詠進が認められ、それまでのように皇族・貴族(華族)や側近などだけでなく、国民も宮中の歌会に参加できるようになった。

明治12年(1879年)に一般の詠進歌から特に優れたものを選歌とし、歌御会始で披講されることとなった。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革で、今日のような国民参加の「歌会始」の根幹を確立したものだった。

 

そして、第二次大戦後は宮内省に置かれていた御歌所が廃止、在野の歌人に選歌が委嘱された。ここで広く一般の詠進を求めるため、御題は平易なものとなる。預選者は式場への参入が認められ、天皇皇后両陛下の拝謁や選者との懇談の機会が設けられるようになったわけだ。

召人には広く各分野で活躍し貢献している人々が選ばれ、陪聴者の範囲や人数を拡大。テレビの中継放送が導入され、多数の人々が歌会始に親しむことができるようになった。こうして歌会始への国民参加が進んだ。

 

このような長い歴史を有する宮中の歌会始は、明治と戦後の改革によって世界的に類のない国民参加の文化行事となった。短歌とは、日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれる。この短歌が日本全国のみならず海外からも寄せられ、宮中の年中行事が皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっていることは、誠に喜ばしいことである。

 

例年は毎年1月の歌会始の儀において、天皇皇后両陛下の御前で一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人(めしうど)の歌、皇族殿下の御歌、皇后陛下の御歌(みうた)と続き、最後に御製(ぎょせい)が披講ひこうされている。

皇太子殿下をはじめ皇族方が列席し、文部科学大臣、日本芸術院会員、選歌として選ばれた詠進者などが陪聴する。

 

 

今年はコロナウィルス騒動が長引いた件もあり、延期云々した結果、結局は「3月26日」に行われたのだが、せっかくの御歌なので、みなさんにもご紹介しておきたいと思った次第である。よろしければ、どうぞご覧あれ。

 

 

天皇陛下御製

「人々の 願ひと努力が 実を結び 平らけき世の 至るを祈る」

 

皇后陛下御歌

「感染の 収まりゆくを ひた願ひ 出で立つ園に 梅の実あをし」

 

 

さて。令和四年の歌会始だが、来年のお題は「窓」である。

「窓」の文字が詠まれていればよいので「窓辺」「車窓」「同窓」のような熟語にしてもかまわない。

 

 

よろしければ、当流同志のみなさんにも参考にしていただきたく。

 

秀麻呂