- 真の宿命とは -

2017/02/01

 

人はもちろん、生きとし生けるものには絶対に逃れられない「宿命」が一つある。それは「死」である。

 

平均寿命が延びているのは喜ばしいことだ。だが人の一生とは、一日一日が「死への道」である。これは間違いない。

 

生あるものがいつかは死ぬ。これが天地自然の理である以上は、この事実に変更はない。

 

ただ人は、人だけは、死がいつか来ると知った上で、これに対処することができる。いつ死ぬかわからないが、命あるうちにこれだけはやっておきたいなどど、思うのである。

 

これは中高年~老人に限ったことではない。青春真っ盛りのティーンエイジャー~遊び盛りの独身貴族まで、来るべき次の人生に向けていろいろと楽しくワクワクする計画をするのも、いつか来る死の前に十二分に時を満喫すべきであると本能がわかっているからだ。

 

生と死は表裏一体である。

 

スティーブジョブスという人がいた。彼はかなりの変わり者だったが、日本文化が好きだった。とりわけ仏教に強く傾倒し、ついには禅宗の仏教徒として生涯を過ごした。鎌倉仏教の一派、曹洞宗の禅僧・乙川弘文(おとがわこうぶん)を師として心から慕い、1991年に結婚した際にはローレンパウエルさんと仏前で結婚式を行ったくらいだ。

 

彼が創業し、iMacからiPhoneに連なる「iシリーズ」で急成長したapple社だが、この会社が世に出す製品の操作性が非常にシンプルな理由は、簡素であることに「美」を見出す日本文化の思想・様式美に魅了され、余計なものを削ぎ落とした結果であるとは本人が言っている。

 

彼は億万長者になるためにapple社を大きく育てたのではない。彼は「世の人々を驚かせる」ということを生涯の「趣味」にしていた。そしてこの会社が時価総額世界一になったとほぼ時を同じくして、彼の現世での肉体は短い寿命を終えて死を迎え、そして「コンピューター」という分野の「神」になった。

 

ハッキリとは言わなかったが、彼は長生きしようという気がなかったように思う。わざわざ故人の内面には触れないが、早期に手術していればまだこの世に生があったはずだ。だが彼はそうしなかった。

 

「死を恐れる。」

 

これは人の本能ではあるが、死を恐れるよりも死の準備がないことを恐れた方がいい。人はいつも死に直面しているからだ。それだけに生は尊い。

 

「死は必ずいつか来る。」

 

だからこそ、与えられている命を最大限に生かさなければと思えるのである。日本神話でアマテラスの孫神「ニニギ」が選択した道だ。これを考えること、これすなわち「死の準備」であると同時に「生への準備」である。

 

生あるものにある宿命から目をそらすことなく、これに対応する選択を厳粛に考えておくのである。しかし、その根源は「楽しみながら」である。

 

日本人にはこの精神性がDNAにおける塩基配列に組み込まれている。そしてこれを我々の祖先は「潔い」と表していた。

 

潔いこととは、決して死を恐れないことではない。蛮勇や後先考えない無鉄砲な生き方のことでもない。誰しもが健康で、長生きするにこしたことは無い。心身の健全健康に向けた努力はするべきだ。私もそうしている。

 

しかし、ただ「なんとなく」生きているというのでは虚しいではないか。時がもったいないではないか。

 

老若男女、我々は潔くありたいものだ。

 

 

秀麻呂