◆夜鶴庭訓抄 - やかくていきんしょう

現所有者:藤原北家世尊寺流十八代 家元・神心書道 宗主 秀麻呂 

進上:青蓮院文明元年/1469

 

 

夜鶴庭訓抄は、別名を「懐中抄」や「夜鶴抄」と称された日本最古入木道(書道のこと)伝書教本です。後白河法皇を「当院」、高倉天皇を「当今」と表記している部分があることから、仁安3年(1168年)に即位した高倉天皇の在位中に書かれたものと云われています。平安時代末期に世尊寺流六代目藤原伊行(ふじわらのこれゆき)によって著された、日本において実在する最初で最古の書論書です。この「夜鶴」とは、白居易の「五弦弾」の中にある「第三第四絃冷冷、夜鶴憶子籠中鳴」の詩に由来しており、当時の親が我が子を思う切実な心を表す例えとして用いられた語、「庭訓」とは親が子に与える教訓という意味がある言葉です。伊行が娘の礼門院右京大夫に与えたものと伝わっています。

 

書かれた内容を大きく分けると、書式揮毫に関する故実(草子書様・和歌書様・上表文・大嘗会屏風色紙形・額・御願の扉・扇・番帳・戒牒・経・年中行事障子)、書法実技に関する解説(硯・墨・筆・硯瓶・藁筆薦筆・鹿毛筆・急ぐ場合・雨中での揮毫・灯前での揮毫・御前での揮毫)、嵯峨天皇弘法大師など歴代の能書家二十二人とその能書(内裏額書人々、悠紀主基御屏風人々、能書人々)から構成されています。記述の多くは能書家として代々公事における清書などを務めてきた世尊寺家にとって「秘伝」「口伝」に属することであり、本来ならば書物として表に出せることではなかったのですが、夜鶴庭訓抄が書かれた当時は、漢字を世の人々に正しく広めるために必要なことを伝書とする必要性があったため、これに該当する部分を書して建礼門院に渡したと伝わっています。