- 「号」とはなにか?〜雅号・堂号・斎号 -

」とは、元々は書画を創作、発表する際に使用される本名とは別の名前のことで、呼称でもあります。現代風にいえば「芸名」や「アーティストネーム」と理解してもよいでしょう。元は書家・画家・文人・歌人・etc...その道で門弟にある程度の実力がついたとするとき、その段階に応じて師匠から本名とは別につけて貰っていた風雅な呼称のことでした。「藤原北家世尊寺流神心書道では級や段位というものは定めず、最初の修了で宗主より雅号が授与され、ステップアップの順に師範代には堂号、続けて師範には斎号が授与されます。これはどのような修道でも古来より、宗主から「号」を授与されることこそが最高の栄誉とされてきたからです。授与された「号」は自らの作品創作の証として記すなど、自由に使用することができます。雅号を単独で使用しても良いですし、堂号(又斎号)を併用して用いるのもまた良いものです。また、自身の教室を開講する場合は、その名称に自らの堂号を用い「藤原北家世尊寺流神心書道〇〇堂」のように付けると風流で良いでしょう。

 

なお参考までに。最上位「斎号」の「」は訓読みでは「いつき」と読みますが、この「斎」は何らかの道を「究めんとする者という使われ方をしていました。成り立ちとしては、日本書記が書かれた時代よりさらに古代までさかのぼることになりますが、要点としては、古くから天皇皇女一人は伊勢神宮(又は賀茂神社に入り、独身のまま最高神アマテラスに仕える役目=巫女のような務めをする、というしきたりがありました。これを「斎宮」(読み=さいぐう or いつきのみや)と呼び、この「斎宮」のお世話をしていた役所は「斎宮寮」と呼ばれていました。この斎宮寮の長官「斎宮頭」だった藤原氏の一族がのちに「斎藤」の名を名乗ったことが、現代における全国の斎藤さんの起源です。「斎」とは元々「神のそばに仕える」という意味であり、最高神アマテラスだけに限らず何らかの神に、日々身を清めて仕えていた人を意味するのが「斎」でした。「斎」の始まりは「神への仕えを究めんとする者」だったのです。

 

また余談ですが、剣術の「新陰流」継承者だった柳生宗厳が「石舟斎」の号を与えられたことはよく知られています。このように剣の道も修道ですので「斎号」が流派を「究めんとする者」だった柳生宗厳に与えられました。今でも日本国内で剣道道場に行くと、ほぼ100%に近い確率で「神棚」があると思います。特に由緒ある道場だと「天照皇太神」「鹿島大神宮」「香取大神宮」と大書された掛け軸が祀ってあることも数多く見ることができます。これは剣道=剣術鍛錬という「修道」を通じて「剣の神」に仕えているという意図を表し、その証として最高神「アマテラス」と「剣の神」である「タケミカヅチ=鹿島神宮の神」「フツヌシ=香取神宮の神」をお祀りしている、というわけです。どのような道を修道としているかに係わらず、何かの道を「究めんとする」という人物は「○○斎」という名前を師にいただくことが「最上の雅」=現代風にいえば「特別にカッコイイ」こととされてきたわけです

 

藤原北家世尊寺流神心書道では、修道を究めんとする書職たちに栄誉ある「斎号」を授与しています。

 

- 雅号・堂号・斎号 - 命名書(見本)

 

「雅号」命名書の一例

「書生」が一定の修道を経て「書士」となるさいに雅号を授与しています。

 

使用を希望する字があれば「一文字」まで可能です。

 

「雅号」附表の一例

雅号を授与するさいには、画数(旧字で計算します。)と字意・字運を解説する附表も付属しています。

 

「堂号」命名書の一例

「書士」が一定の修道を経て「師範代」となるさいに堂号を授与しています。

 

使用を希望する字があれば「一文字」まで可能です。

 

「堂号」附表の一例

堂号を授与するさいにも、画数(旧字で計算します。)と字意・字運を解説する附表が付属しています。

 

「斎号」命名書の一例

「師範代」が一定の修道を経て「師範」となるさいに斎号を授与しています。

 

使用を希望する字があれば「一文字」まで可能です。

 

「斎号」附表の一例

斎号を授与するさいにも、画数(旧字で計算します。)と字意・字運を解説する附表が付属しています。