2021/03/01
「シンクロニシティ」という言葉がある。おそらく、当流の会員なら見聞したことがある人も少なからずいるだろう。
元々はカール・グスタフ・ユングというスイスの精神科医/心理学者が提唱した概念のことで「結果的に意味がある偶然の一致」をいう。日本語では「共時性」や「同時性」「同時発生」などと訳される。
時節柄、今回はこの「シンクロニシティ」について、記しておくとしよう。
人というのは現世において、潜在意識が求めたタイミングに、その求めに応じて必要な人や出来事に遭遇するように導かれることが多いものである。
例えば、ネガティブな考えに囚われた人のもとには、同じようにネガティブな考えの人が集まる。ネガティブなエネルギーを持った物事・事象がそれぞれ導き合って「そこ」に集まるようになっているし、ポジティブな考え方やエネルギー、ポジティブな物事・事象、そういったセルフイメージを潜在的に持った人のもとに創られる現実は明るく、楽しく、元気で、誰もが思い描く「楽園」や「天国」と同質の世界になるものだ。
この陰・陽二極の現象は、べつに現世の時空だけに限ったものではなく、時の流れにも作用している。
過去には時の流れが淀み、停滞する「暗黒時代」と呼ばれた時代もあった。いろいろなモノ・コトが発展を遂げた、光り輝くような「繁栄」の時代もあった。そして、これからもそうなのだ。
古来より「類は友を呼ぶ」という言葉がある。
俗世の感覚では不思議に感じることもあるのだろうが、同じような性質をもつものは、一つの時間や空間に集まる傾向にある。このことは、べつに地球上に限ったことではなく、この宇宙のどこにでもある根源的セオリーの現象で、すでに科学的にも証明されている。
もしあなたも興味があれば、ひとまず「ハッブル宇宙望遠鏡」の写真でもご覧になられると良い。なかなか良い写真集も出版されているし、当流の会員、書士、書生であれば、理屈ではなく「視覚」と「直感」でわかることも、瞬時にあるだろう。
そしてこれを神心の修道では「宇宙=カミ(神)」の至高として教示している。では、いったいなぜ、こういった現象が起こっているのであろうか?
ヒントは、身近なところにもある。例えば、これは物理学の観点になるが「共鳴現象」というのは知っているだろうか?
離れたところに音叉を置いて、片方を鳴らすと、もう片方も鳴る、という現象のことをいう。エネルギーが波として「空間」を超えて伝わり、離れた場所に置かれた音叉を振動させる現象。神心の修道では、言葉の表現こそ教派により違えどあたりまえのこととされているのだが、ようするに、この宇宙・自然のすべてのモノ・コトはすべてが動く量子エネルギー、つまり「波動」によってできている、という理論だ。
神心の修道というのは、起源が古いというだけで本質はかなり科学的なのである。
至高の宇宙=神には、まだ人類が解明できていないことの方が、解明できたこととは比較にならないほど多く実在している。人間の感情の状態、思考=脳波、細胞の挙動、といったものも、もちろん量子の動き=「波動」の一種である。
だから、ネガティブなものも、ポジティブなものも、感情は人から人へ伝染していく。悲しみに沈んだ人の近くにいると、自分も何だか悲しくなってきたという人は多い。悲しい映画を見ると悲しくなるという人も多いだろう。しかし、心の調った人の近くにいると、不思議な安心感が得られるのも事実である。楽しい人・明るい人の近くにいると、自然とそうなる人は多くいる。同じように、何かの「理念」「信念」が出来上がると、そこに同じような「脳波」をもった人が自然に集うのである。
近い将来「師範」になろうという書士は、ぜひ覚えておかれるとよい。
人の思考や行動といった生命活動も、宇宙を構成する自然の摂理の中で起きていることであり、すべてはその作用で、同じような脳波の人が集まる、というわけだ。
量子のレベルで、すべてのモノ・コトはシンクロニシティしており、一つの小宇宙となる時空を構成しているのだ。
だから、よく小説などの創作物では「シンクロニシティに気づいた」と表現されるが、その表現はあまり正しくない。なぜなら、すべてのモノ・コトはもともと事象としては「シンクロニシティしている」からだ。
あなたの現世では、あなたの「自我」だけがシンクロニシティから離れて、自らを「個」として認識している。この「自我」という自己認識能力のおかげで、人は其々、みな自分を外界から切り離した「個」と認識しているのだ。
だが、通常の生活中で誰もが「個」としての自分を認識している時、自分の存在は宇宙の一部である、ということを忘れている。言い換えれば、シンクロニシティというのは人の意識が「自らは宇宙を構成する一部である」と感じている時にわかる、ということになる。
そろそろ桜のシーズンである。
春爛漫の現世に浸り、たまには桜をぼーっと眺めながらシンクロニシティを感じてみるのも良きものである。
秀麻呂