- パーントゥ・プナハと呼ばれる神 -

 

 

今回は、少し珍しい話でもしようか。

 

昔々、その昔。今の沖縄県が「琉球王国」だった時代から、さらにもっと遡ったその昔。宮古島の北東部沿岸に木でできた仮面が流れ着いたそうだ。

 

島民たちは異国から得体のしれないものがやって来たと最初は畏れ慄き、その後しばらくすると、この仮面には神がいると丁重にお祀りするようになった。

 

この神の名を「パーントゥ・プナハ」という。

 

この「パーントゥ」という呼称は、お化けや鬼神を意味する古代「縄文語」にも似た言葉で、宮古島の民俗伝承「宮古島庶民史:稲村賢敷/1948年」には「パーン(食む)+ピトゥ(人)」が訛って変化した語であるという説も書かれている。

 

最近は、この神の伝統的な祭祀が独特でユニークだからとユネスコ無形文化遺産になったことで、急に人気になってしまった感もあるのだが、たしかにとてもユニークだ。

 

この祭祀では、パーントゥは三神から成り、親(=ウヤ)パーントゥ、中(=ナカ)パーントゥ、子(=フファ)パーントゥで編成されている。

 

当日は夕刻、仮面を着けキャーンと呼ばれるシイノキカズラの蔓草をまとい「ンマリガー」(産まれ泉)と呼ばれる井戸の底に溜まった泥を、全身に塗って現れる。

 

その見た目はなかなかにグロテスクで、木の仮面を顔に着けて、全身は泥にまみれ、藁草だらけで、おまけになんとも形容しがたい異臭も漂う。

 

パーントゥがゆっくり登場したと思いきや、突如として走り回り見物客を追い回しては、手が届く者たちを手あたり次第に泥だらけとしていくわけだ。

 

親のいうことを聞かないワガママな子供でも、あっという間に改心する来訪神「パーントゥ」

 

そういう意味では秋田のナマハゲにも近いのだが、こういった地方の伝統行事に対して、やれ恐怖体験であるとか、やれトラウマになるだとか、勝手にやってきた観光客にもかかわらず、体験したらしたでクレームを叫ぶという迷惑なやからも最近はいるそうだ。

 

まぁ、小さな子どもにとってその時は恐ろしかろう。実際、その昔はこの神事で村の厄介者を引きずり出しては、パーントゥ神の名でこっぴどく戒めていたともいう。

 

だが、それで良いのである。

 

ところでこの神、元は流れ着いた仮面に宿っていたとある。

 

ではどこから来た、なんの神だろうか?といえば、宮古島とその周辺にある民俗伝承を検証すると、おそらくイザナギ ― イザナミの第一子「海神・ヒルコノミコト」であろうとわたしは思っている。

 

神事でこのパーントゥは「ンマリガー」という井戸から出現するが、このンマリガーの水は「天ノ真名井」の水と似た解釈でも使われており、南西諸島に伝わる「ニライカナイ」が日本神話に登場する異界「根之堅洲國(ねのかたすくに):古事記)と同じ世界観であることからも、たぶんそうだろう。

 

さて、このパーントゥであるが、祭祀は神事なので誰にでも泥をつけてよく、どこにでも上がりこんでよく、好きなように歩き、好きなように走り、好きなように暴れ回る、まさに「スサノヲ」もびっくりの治外法権っぷりである。

 

それでも地元の人々は、誰もがみなこの暴れ放題のパーントゥを大歓迎している。

 

触れれば汚く、異臭もするのに、なぜだろうか?

 

それは、パーントゥに泥をつけられることには「祓い」の効験があり、勝手に上がり込まれた家屋敷・事務所には強力な厄祓いとなり、泥だらけにされた自動車にまで交通安全の守護がある、まさに神のエネルギーが大サービスだからだ。

 

この破天荒な「暴れ神」はその見た目と裏腹に、あらゆる不運を祓い、関係した人・物・地に幸運をもたらす。

 

人は見かけによらないというが、神も見かけによらないのである。

 

そもそも。

 

容姿が美しい人は必ずしも性格が良いだろうか?容姿が美しい神はすべからくみな善神だろうか?

 

答えは「NO」だ。

 

だが、容姿に優れない人が性格が良い、容姿に優れない神が善神、そう決めつけるのも同じく「NO」だ。

 

正解は、容姿の良し悪しと効験には「因果関係そのものが無い」ということだ。これは、現世におけるあなたの人生でも同様である。

 

 

秀麻呂