‐今日は最高の一日、今が最上の好機‐

 

 

今日という時は二度と人にめぐって来ない。昨日とは過ぎ去った今日のことであり、明日とは刻一刻と近づいている今日のことだ。一生とは、今日の連続のことである。

 

昨日を悔いているかと思えば、明日を憂いているという人がいる。これは今日という好機を自ら捨てている人に他ならない。

 

今日とは、時の全てが陽光に輝いた、希望に溢れた、二度と来ることが無い、良き日なのだ。

やりたいこと。今やらなければ、いつその日がめぐってくるというのか。今日を捨てている人は、いつも好機を逃す人なのである。

 

やれ大安。やれ仏滅。日の吉凶のような迷信にこだわる人は、実にもったいない人だ。

大金が転がり込む好機が来ても、日が悪かったらこれを見逃すのだろうか。天災が自分の身に降りかかるというその時でも、運勢暦を見て吉とか凶とかいうのであろうか。

 

今日は一生に一度めぐってきた最上の幸福日だ。しかし、やり過ごせば自らの「スキ」となり後日の災いを創出する厄災日である。

 

幸とするか、厄とするか。どちらを選ぶのかは自分自身なのである。神は人に「時」と連動した幸福を与えている。それを得られるかどうかは、自ら選択しているのである。

 

一日とは、今の集積した単位のことである。今を失う人は一日を失う。一日を失い続ければ一生を棒に振る。「時は金なり」「タイム・イズ・マネー」という。

 

いや、時はそんな軽いものではない。金なら取り返すこともできる。損をしても稼ぐことができる。しかし、時は取り返すことができない。

 

気がついた時、「あとで」などと思わずに喜んでとっととやる。気がついたときにすぐやるのが、成功法則の基本の「き」であり、誰にでもできる健康法でもある。

 

ぐずぐずした時の使い方をする人は、どんなに頭が良くても天恵とは無縁の人である。「光陰矢の如し」なのだ。

 

時は得がたくして、失いやすし。こう史記にもある。

 

Strike while the iron is hot.と言ったイギリス人がいた。日本語で「鉄は熱いうちに打て」と訳すが、その通りだ。

 

気づきとは、天啓である。その事をする最高の好機なのだ。後に回せば、条件や環境が変わっている。良く変わることはあまりなく、ほとんどは悪い方に、マイナスな方に、ネガティブな方に変わる。

 

天啓とは叡智である。限られた時の流れの中で、今が最も良い「ここ」というタイミングで、波動として人の脳に伝達して「気づき」となるように計算してできている。

 

試しに「気がついたら、すぐにする」ということを、ほんの日常でも実践したらよくわかる。

必ずこの方程式が証明される。人に幸福と時の関係を与えた神は数学が得意だ。

 

感覚を研ぎ澄ませ、カンを働かせて生きる。「あとで」という言葉を考え出したのは、堕落した人間だった。

 

気がついてもやらず、強情ともいえる自我で何かを待ち、なまけ心には忠実で、心配性で動けない。だからチャンスをチャンスと知ることすらできず、いつも取り逃がす。

 

世の中には、宝の山にいながらも、それに気づかず手ぶらブラブラといたずらに時を過ごす人のなんと多いことか。

 

思い立った今、その日その時こそが最高の吉日好機なのである。

 

 

秀麻呂