- 古代人を虜にした「ヒスイ」-

2024/04/01

 

今年は春の訪れが早かったが、今後もこのような年はさらに増えていくのだろう。時代の移り変わりというのは、季節感にも表れてくるものである。

 

ドローンやマイクロチップ、日本領海の海底資源発見などに代表される、21世紀の技術革新もまたしかり。世界には、ピラミッド、ストーンヘンジ、兵馬俑、三内丸山遺跡や五重塔、etc...

 

現代人でもびっくり仰天の「ミラクルテクノロジー」というものが実在している。

 

では、なぜそんなミラクルが可能だったのか?

 

今号では、三内丸山遺跡で発掘された「翡翠玉」を題材に、縄文時代から奈良時代にかけての古代人に神聖視されていたヒスイ(翡翠)について述べてみようか。

 

まず先に「三内丸山遺跡」で発掘された翡翠玉だが、青森県教育委員会三内丸山遺跡対策室によると、大珠(=大型の玉のこと)の直径は5.5~6.5cmとのことだ。

 

このヒスイ(翡翠)だが、じつは「新潟」で発掘された素材が「北海道」で加工されて「青森」で市場流通する「商品」とされていた可能性が高いのだ。

 

すると「縄文時代」の日本には「かなり広範囲な流通網」が実在していたとなるわけで、さらに研究を進めると、縄文時代の日本では天然のアスファルトが計画的な道具の製作に用いられていたことがわかってきた。

 

なによりも、三内丸山遺跡で出土したヒスイ(翡翠)の大珠には、現代にも通じる、むしろ現代の技術を凌駕する超高度の穿孔(=孔をあけること)技術が見出されるのである。

 

現代でも、あれだけ大きなヒスイ(翡翠)に、あんなに見事な孔をあけるのはかなり難しい。

 

ちなみにヒスイ(翡翠)は、「空飛ぶ宝石」と称せられた「カワセミ」から発想を得て名づけられた。

半透明の、底知れぬほど神秘的な緑色の石、その色が“空飛ぶ宝石”と称せられるカワセミの羽毛の色に似ていることから名づけられたのである。

 

もともとは、カワセミの雄を「翡(ひ)」、雌を「翠(すい)」と呼んでいたのである。

 

現代で商業商品的に「ヒスイ」といえば、ふつうは硬玉(=ジェダイトという)と軟玉(=ネフライトという)の2種になる。この硬玉と軟玉は、外観、色沢、性質は非常によく似ており、専門的技術をもって判定しない限り、区別は困難である。しかし両者は、鉱物学的にはまったくの別ものだ。

 

古代日本におけるヒスイ(翡翠)は、古代から奈良時代まで装身具の主流を占め、つねにナンバーワンであった。そして、今日でもかなり高価な宝石の一つである。前述の2種類あるヒスイ(翡翠)のうち「硬玉」は軟玉と比べてはるかに稀であり、貴重であり、はるかに高い価値をもっている。

 

一般的に“ヒスイ”と呼べば硬玉と軟玉が含まれるが、考古学上の“ヒスイ”といえば「硬玉だけ」を指している。さらに日本では宝石としての“ヒスイ”も硬玉に限られている。

 

そして、冒頭の三内丸山遺跡出土のヒスイ(翡翠)、これももちろん硬玉である。

 

現在まで、縄文時代、弥生時代、そして古墳時代の遺跡からヒスイ(翡翠)は無数といってよいほどたくさん出土している。奈良時代までの古代日本では、ヒスイ(翡翠)硬玉は装身具、宝石の王であったのだ。

 

ところが不思議なことに、奈良時代になると、法興寺塔址の勾玉や正倉院宝物の中にあるヒスイ(翡翠)を最後として、日本史の中から突然姿を消すのである。

 

古代、なぜヒスイ(翡翠)が装身具、宝石のナンバーワンであったのか、そして、なぜ奈良時代以降、ヒスイ(翡翠)は姿を消してしまったのか。それも興味深い事案なのだが、ここでは文字数の都合で深入りしない。

※興味のある方は、推薦図書として『天工開物』や『図説・日本文化の歴史(3)奈良』(小学館/1979)を挙げておきたい。

 

とにかく一番疑問なのは、これだけ硬いヒスイ(翡翠)硬玉に孔をあける「穿孔技術」である。

 

硬玉の硬度はダイヤモンド:10に対して「6.5~7」である。原理的には「宝石」に限らず「物質の切断、孔あけ、研磨などの加工」には、加工される物質よりも硬い物質が必要である。ヒスイ(翡翠) 硬玉の孔あけには、硬度8以上の物質が必要なのである。

 

それが可能なのは、ダイヤモンドをはじめとする限られた物質だけなのだ。

 

さらにヒスイ(翡翠)硬玉は硬いだけでなく、その質も繊維質で「きわめて強靱」であるという特質をもつ。ヒスイ(翡翠) 硬玉の穿孔はカンタンなことではないのだ。

 

にもかかわらず、 三内丸山遺跡から発掘されたヒスイ(翡翠)、他の遺跡から発掘された翡翠玉、どれを見ても、じつに見事な孔があけられている。

 

鉄などの金属製の道具、ドリルなどをもたなかった縄文の古代人が、何を使って、どのようにして、硬玉に見事な孔をあけ得たのかについては、現在でもまだナゾのままである。

 

数千年前の遺跡から出土するヒスイ(翡翠)は、いずれも見事な孔があけられた硬玉だけであるが、その穿孔に使われた道具の発掘はいまだ未発見である。

 

縄文の古代人による穿孔技術がどのようなものであったのか、まだ真実が確定していない。だが、縄文の古代人が超高度な技術を有していた、このことは確定した疑いようがない事実である。

 

「神代文字」や神心の「書術」以外にも、超古代のミラクルテクノロジーというのはたくさん実在するのである。

 

 

秀麻呂