- 守護とは認識から -

 

 

神の守護とは、認識から始まる。

 

わたしはよく神社に行く。日本全国、さらには海外の神社にも行くことがある。

 

神社は「日本にしか無い」と思っている人は多いだろうが、実は海外にも神社はいくつかある。一番新しい神社はイタリアの隣にある「サンマリノ共和国」の「サンマリノ神社」で、御祭神はなんと「アマテラス」だ。

 

海外旅行の折には、こういった海外の神社にもちょっと寄ってみると「おもしろいこと」「不思議なこと」に気づく人もいることだろう。

 

ところで、世の人々は神社に「何をしに」行くのだろうか。一般的には、初宮参り、七五三、初詣や祈願、個人的にいろいろな「願い」を叶えてもらう、ようするに神の守護を求めて行くのが大半であろう。

 

ただ、神の守護を望むなら、まずは「認識」されることからだ。

 

たしかに神は神社に行けばいる。

 

特に由緒ある神社に祀られるようなレベルの神であれば、その力は強大である。不可能なことなど「無い」と言ってもいいだろう。

 

だが、その神力は神に選ばれた者にしか恵みとして使われてはいない。どこの誰ともわからない人間の、欲にまみれたどうでもいい願いなど、神はいちいち聞いていない。聞こえたところでただの雑音として聞き流している。

 

神は「えこひいき」をする。

 

あなたが神に選ばれ「えこひいき」されるためには、まずは、顔と名前を認識されることだ。その次は、気に入られることだ。

 

そして、なんらかの願いがあるなら「礼儀作法」を大事にすることだ。こういうと言い方は悪いのかもしれないが、おそらく、これを読んでいるあなたは俗世にまみれた成人であろう。

 

そんなあなたが、これから神に「えこひいき」されるには、まず形から入るしか方法は無いのだ。

 

神前で「二礼 二拍手 一拝」の作法は、日本人ならあたりまえだ。

 

神にしてみれば、マナーというのは守らない方がおかしい。あたりまえのことができただけで、気に入られることなどない。マイナスの印象を与えないだけのことだ。

 

言葉をまだ覚える前の赤子を除くと、神の視点で印象が良いのは、たくさん陰徳を積んだ者だ。一般論を飛び越えてしまえば、神代文字で書かれた奉納文に心付けを添えて挨拶に来るような者は、当然ながら印象は良いだろう。

 

そして、ここからが肝心なのだが。

 

神にこれからあなたの守護神となってもらうためには、その神の認識をあなたにも向けてもらうことが最も重要なのだ。

 

一番カンタンな方法としては、守護神の候補となる神への御神言を毎朝・毎晩一日二回、念じると良い。

 

本当は祝詞の奏上ならもっと良いのだが、これは日常生活にその時間がとれる人しかできないだろうから、例えば、仕事を持つ社会人ならば年二回くらいだろうか。可能ならば毎月月初の休日くらいでもいいだろう。

 

「守護神となる神への御神言を念じる」これはカンタンだ。

 

その神の、古式ゆかしく正しい御神名がそのまま「守護神となっていただく神へ捧げる御神言」だからだ。

 

あなたの守護神になる可能性がある神なら、いずれの神でも良いだろう。その神の名は、あなた専用の御神言である。氏神、産土神、御祖神、鎮守神、崇敬神、いずれもあなたの守護神になりえる神だ。

 

例えば、あなたがこれまでに訪れた神社の中で一番良い記憶がある神社の祭神、現在住んでいる都道府県の「一宮」にあたる神社の祭神、自宅から一番近くて常駐する神職が社務所にいる神社の祭神、父・母や夫・妻などの血筋に連なる氏神・御祖神、あなたが産まれた場所の鎮守神・産土神などは、あなたの存在を認識してもらいやすい。

 

いくら神とはいえ、存在を認識していない者では守護のしようが無いのだ。

 

だから、まずはあなたの存在を認識してもらおう。認識されたならその後、その神はあなたの守護神の一柱だ。そして、その神の名はあなたにとって一番カンタンな御神言となる。

 

例えば。

 

あなたが認識されたのが「天祖神社」なら、天照大御神が御祭神なので、その日から天照大御神があなたの守護神候補の一柱となり「アマテラスオホミカミ」があなたの御神言のひとつである。

 

「諏訪神社」なら、建御名方神がご祭神なので「タケミナカタノオホカミ」が御神言のひとつなのだ。

 

なお、前述「オホ」の発音部分は「オヲ」と発音しても良い。

 

御神名には仮に「大」の字が無くとも「オホカミ」「オヲカミ」と呼ぶのが神との社交マナーだからである。

 

むずかしく考えることはない。神は自らを慕う者がかわいいのだ。

 

 

秀麻呂