- 希望こそ心の陽光 -

 

 

「逆境」というのは、自らにとって「マイナスなこと」にするべきではない。

 

理由はシンプルで「このカベを乗り越えよ。そして今よりも成長せよ。」という「神託」であることが多いからだ。神託とは神からの「お告げ」でもあり、メッセージともいうべきものだからだ。

 

だが、人は脆くて危うい。

 

暗い想像は暗い現実を呼ぶし、ネガティブな未来を恐れるということは、ネガティブな未来が訪れることを信じていることと同じである。

 

「恐れ」は現実化する。

 

ネガティブな未来の訪れを恐れて、自らに言い訳を用意したり、目を逸らしたりしてはいけない。それでは成長の扉を開くどころか、見つけることすらできはしない。

 

あなたの「想像力」は、あなたが「輝かしい未来」を創造するためだけに使うべき才能なのだ。そのために、最も重要なことがある。

 

「希望」である。

 

地球を見よ。夜が明けたから太陽が昇るのではない。太陽が昇ったから夜が明け、天地自然の万物は眠りから目覚め、生々と活動をはじめるのである。

 

夜になっても、太陽は消えているわけではない。

 

地球はいつも太陽の光に包まれており、太陽神アマテラスの温かい抱擁の内にある。ただ常に地上の半分を静かに休ませて、その間を弟の月神「ツクヨミ」に守護を任せているだけのことである。

 

休息を取り「明日」を活発に生きてもらいたいと願う大御心である。

 

「希望」こそが心の陽光である。

 

なにかの都合が良いからと希望を持つのではない。一生に今しかない時を活発に生きるための希望である。

 

この世に生を受けたあなたには、命ある限り前途洋々と生きていく権利がある。その前途に明るい希望を持つことで、時が活発に色づくのである。

 

一時の苦しみ、しばしの痛み、その時は辛かろう。だがそれは、高みに昇るための階段なのである。

 

階段を上るのだ。下るのではない。そう長くは階段も続かない。

 

いずれ朝日輝くような場面が必ずあなたの前に現れる。台風一過の後のような晴天陽光が巡ってくる。

 

夜になったからといって「悲しい」と泣く者はあなたの周りにいないであろう。ただ休息する時になっただけではないか。明日には朝がまた来るではないか。

 

悲観してはいけない。悲観は「暗雲」である。憂いてはいけない。憂いは「冷雨」である。

 

爽快な希望溢れる「薫風」に立つ自らを想像するのだ。

 

心の火を灯すのだ。その火を高く掲げるのだ。火を大きくするほど、高く掲げるほど、前途はより明るく、より大きく、開けていくのである。

 

「希望」をもつのだ。

 

今日にも、明日にも、日々是前途洋々である。仕事、事業、商売、学業、技芸、運動、競争、家庭、恋愛、金銭、健康、etc...

 

毎日、毎週、毎月、毎年、日々是「希望」である。

 

上手くいかないから希望が湧かないなどと考えるのは、自らに対する怠惰な言い訳である。希望を持たないから、前途が開かないだけである。

 

高みに上るため「ふんばる」のだ。

 

良く見えたり、悪く見えたり、表面上の変化に一喜一憂していても無意味である。「常」こそがコツである。常に心の火を灯し、高く掲げるのだ。

 

日々の生業に情熱をこめ、友とは光を分かち合い、あなたは希望の陽光となるのである。

 

太陽の陽光はその光も熱も無限である。無限のフリーエネルギーが太陽の陽光である。あなたの希望も、その前途も無限である。いくら心の火を燃やそうが、どれだけ高く掲げようが、無限であり自由なのである。

 

「希望」があなたの人生を光り輝く道とする。「希望」こそが心の陽光である。

 

 

秀麻呂