2021/10/01
そろそろ本格的な秋となり、伊勢神宮では神嘗祭が斎行される。
この祭祀は毎年10月17日に伊勢神宮で執り行われ、その年の最初に収穫された稲穂「=初穂」をアマテラスに奏上する、いわば「五穀豊穣」に対する日本国民からの感謝祭で、この祭祀を毎年欠かさず行うことで我が国の繁栄に天神地祇からの多大なる、目には見えぬサポートが得られている。
余談だが、10月17日の神棚への奏上はいつもより奮発されると御分霊を通じて各々からの感謝も伝わるであろう。
ところで昨今「神棚の無い家」というのが多くなってきている。
そこで今回のコラムでは、神棚のある家のメリットを記しておきたいと思う。
そもそも「神への祈り」というのは、その人の心身に勇気や安らぎをもたらす。特に日本人であれば、神を祀り、手を合わせ、幸せを願い、感謝の気持ちを伝えるだけでも「現世」における漠然とした不安を解消することができる。
この「神」と「人」との「橋渡し」を、自宅でできるようにするのが「神棚」である。
わたしのおススメは三重県伊勢市にある「宮忠」というメーカーの制作した神棚なのだが、今はホームセンターやネット通販でも良い品が購入できるので、配置するスペースに見合った適切な神棚を入手されれば良いだろう。
ちなみに宮忠の神棚は、長野から岐阜にかけての国有林で育つ樹齢150年以上の天然「木曽ヒノキ」を使っており、これを2年から3年かけて材木として適した質感にまで仕上げ、そこから初めて適した部材ごとに神棚へと、熟練の職人による手作業で加工されていく。
家に良い神棚があり、神と向き合う日々を続けていると、どんなことがあるか?
まず「御神縁」が増える。
いわゆる「良いご縁」と呼ばれる巡りあわせのことだ。例えば「神代文字」や「神心書道」とのご縁は、そのほとんどが御神縁なのだろう。
良き伴侶、仕事や会社、お気に入りの車/オートバイや自転車、家屋や衣服、etc・・
こんなことにも御神縁があるのである。神棚がある家=神と暮らす家なのだ。考えてみれば、至極当たり前の現象である。
ただし、神棚を「おざなり」にしてはいけない。粗末に扱えば、神とて機嫌が悪くなるだろうし、あまりに無礼な扱いを続けると、怒りに触れることにもなりかねない。
もし神棚が無ければ神はその家の存在を知ることができない。神棚は正しく祀らないと、神がその神棚に降りることができない。
定期的に清掃し、榊の水を交換し、贅沢でなくとも丁寧に奏上することだ。
すると、その神棚のある家は栄える。困れば導かれ、必要な時には助力がある。神はすべてお見通しだが、同時に人と似たような「感情」もお持ちなのである。
神社に行くのも、それはそれで。守護・開運には大事な行為だが、家に神棚があるのと無いのとでは、やはりその者の扱いに「違い」というのはあるものだ。
なお神棚の耐久年数についてたまに聞かれるのだが、決まっているわけではない。
わたし個人の場合は、一番最初にそこそこの神棚を購入してから、経済状態が向上するたびに高価な宮形へとレベルアップしていった。
転居/転勤、就職、昇進/昇格、起業/独立、結婚/出産などのような「人生の節目」を機に買い替える、というのでも良いだろう。
あまり堅苦しく考えることはないが、やはり「おかげさまで」という気持ちを忘れずにいれば、良い選択肢もおのずとついてくるだろう。
秀麻呂