-「竹内文書」の目的はなにか?-

2023/07/31



なぜか若者たちの話題として盛り上がっている有名な古文書がある。最近、特に年号が令和になってからが顕著ではないだろうか。その名を「竹内文書」というのだが、当流の会員、いや会員でなくともこのコラムを見るような人たちならばこの名は知っているだろう。

 

知る人ぞ知る古文書だが、これはコラムの原稿なので前説代わりに概略を記しておこう。

 

竹内文書は当時の新興宗教「天津教」を開いた竹内巨麿という人物が、代々伝わるものと称して昭和10年に公開した文書で、漢字伝来以前に日本にあった「神代文字」がびっしり書き込まれている。その内容は神武天皇以前にウガヤフキアエズ73代の王朝が数千万年も続いていて、その朝廷がある場所は太古世界の中心で、モーゼ、キリスト、マホメット、釈迦、孔子といった聖人がみなそこを目指してやってきたというのがアピールされたコンセプトであった。この文書を元にした推奨記事も書かれたようだし、天津教はそれらの信奉者も取り込んであれよあれよと大日本帝国軍部の上層部にまで浸透していった。だが、その記事が皇国史観に反する(記紀と違う)ものであるとして官憲が動き、竹内巨麿はいったん不敬罪で逮捕される。最終的には無罪になったのだが、竹内文書は狩野享吉や橋本進吉ら自称「国語学・古文書の研究における権威」によって徹底的な検証が行われたとされ、近代の語彙が混じっていたことなどを理由に不当に偽作とされた。

 

かくしてこの「古文献」は学界から葬り去られた…かに見えたが、そうカンタンには終わらなかった。学術の世界に関しては、この「文書」の真贋は決着したとされ、その結論を見直そうというのは「地球は本当に丸いかどうか考え直そうというに等しいことである」などと揶揄された。当時の自称権威者たちが描いた筋書きの通り、現代の日本で竹内文書を古代史の「史料」として扱おうとする大学教授は、日本国内にはおそらく一人もいないだろう。それはそうだ、もしそんなことをしたら彼らは職を失うのだから。だがそんな文献にもかかわらず、この「文書」の存在を「真実」とする日本人は、今でも後を絶たない。事実にしか意義を求めない外国人研究者だと、竹内文書の支持者にはけっこうな人数の有力者もおり、中には著名な学者もいる。

 

さて前振りはこんなところで終わりにして、ここからはわたしの見解になるのだが。

 

竹内文書を総評すると「真実:30%/暗号:30%/工作:30%/感情:10%」で構成された、当時の世界観の中で「日本」に必要だと感じられる要素をアピールするための、古文書ベースの執筆物。これが、あれこれと研究し、さらに調査会社まで使って調べてわたしが行きついた結論だ。

 

「古代日本はこんなにすごい国だった」という「物証」があれば、それを信じることで、その末裔である自分たちはなんとなく偉くなったような気がしたのだろう。当時の世界観は「白人至上主義」の真っただ中であり、そこに日本人が(内情はどうであれ)「人種差別反対」を大義に世界と戦っていた時代である。ようするに、竹内文書の目的は、白人至上主義と戦う日本国が自尊心を有するための妙薬を創造することだったのだ。

 

このような事象は、竹内文書ばかりではない。現代社会でも似たようなケースはいくらでも見つかる。「中国は古代から残虐行為を繰り返してきた」「大東亜戦争は聖戦だった」などなど、たくさんある。日本人ばかりではない。中国の一般大衆は「日本の文化はすべて中国の借り物」という「ストーリー」をなんの調査も検証もせず盲目的に信じている者がとても多いし、アメリカの退役軍人のほとんどは原爆投下による被爆地の惨状たる映像をどれだけ見ようと「原爆投下は正しかった」とバカのひとつ覚えのように言ってるのである。

 

わたし自身は「大東亜戦争は聖戦だった」という一面的な考え方にもろ手を挙げての賛同はしていないが、少なくとも日本が戦争に踏み切らなければ、今も世界は白人至上主義がまかり通っていただろうし、日本を除いたアジア圏の国は、そのほとんどが今も欧米植民地のままだろう。この絶対的事実は、日本国として一歩も譲るべきでないと思っている。

 

そして「神心書道」における「竹内文書」の扱いについてだが、わたしは否定派ではない。しかし、その反面では単純な「まる飲み」をするべきでないとも考えている。向学としては、前述の「真実:30%」と「感情:10%」を研究し、その知徳により「暗号:30%」の示す「本質の部分」を読み解くことがおもしろいのである。

 

意欲を感じた人は、ぜひチャレンジしてみてもらいたい。

 

 

秀麻呂