- 運は天にあり -

2018/02/01

 

神心書道を学問としたならば、神代文字とその書術の修得、そして開運術であり「運」を科学する学問である。

 

だが、その本質は発展的な人間学である。

 

運が良い、運が悪い、それは統計学の手法による他者の過去データを集積・分析したことを述べているのである。こうなると「占い」の分野であり、我々の「道」とは似て非なるものである。

 

我々は、良い運はより良く。悪い運なら逆転の福運にすべく、その術を修して使役する。

 

「運は天にあり。」

 

これは、藤原北家勧修寺流の英傑「上杉謙信」公が、まだ「長尾景虎」だった20代後半に戦場で述べた口上だ。この「運は天にあり」だが、現代では辞書にこうある。

 

「運は天にあり - 運は天の支配するもので、人の力ではどうにもできないことの例え。」

 

断言しよう。これは間違いである。謙信公はそのようなことはいっていない。

 

正文にはこうある。

 

「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと、自らに運を定めるべし。」

 

わからなくはないが、もう少し現代語に近くしてみよう。

 

「運とは天が決める。だが、自らの身を守ることは、自らの心と力で決まるものだ。手柄とは自らが汗をかき、自らが掴むものだ。敵の策を集めて分析し、その上を行く策を以てまさに自らの手の上で敵を転がすごとく合戦するのだ。死を恐れずに戦えば気迫の勝る側が生き残るだろう。死に怯えてただ生き残ろうとするなら気迫で負けた方が死ぬだろう。運はすでに決まっていて、時と共に流れるだけだと思うのは間違いだ。武士ならば己の進むべき道は勝つのみと定め、自らの運は勝利のみと定めよ。」

 

こんなところか。

 

中世の戦国時代には、占いを以て吉日を選んで敵に戦を仕掛け、凶日なら戦を避けた方が良い、とする風習があった。

 

そんなことを気にしていては、勝てる戦でも勝てないではないか、というのが、この謙信公の口上だ。

 

敵方で占いが吉と出て、自軍も占いが吉と出たなら「引き分け」だとでもいうのか。そんな意味をも含むのだろう。

 

謙信公は仏教の武神こと「毘沙門天」の化身といわれた「戦の天才」だが、その本人がこういうのだ。当時の長尾景虎率いる軍勢が強かったのもあたりまえである。

 

運は天にあり。これは本当だ。だが、運とは「変化」するものだ。良くも悪くも変えられるものだ。

 

謙信公のライバル「武田信玄公」の旗印は「風林火山」の漢文を記したものであった。

 

風林火山とは、孫子の兵法「第七 軍装篇」にある、風の速さ(行動)、林の静けさ(冷静)、火の熱さ(闘志)、山の重さ(不動)を説いた漢文を四文字にまとめた熟語なのだが、謙信公はこの旗印を初めて見た時に近しい家臣にこういったという。

 

「敵ながら天晴れ」

 

謙信公が、武田信玄公を終生のライバルと認めた瞬間だという。

 

「運は天にあり」は本当だ。しかし、人はその運を操る術を使うことができる。

 

幸運は作れる、福運は増やせる、悲運は祓える。間違いはない。

 

 

秀麻呂