-「君が代」の本当の意味~日本人の“和”の心が蘇る -

2025/10/01

 

いつも「アメノマナイ」を見てくれているみなさん、ありがとう。おかげさまで、アクセス数が月間累計50万PVを超えたそうだ、感謝申しあげたい。10月となり、秋を実感できる日々であるが、いかがお過ごしであろうか。

 

さて、このアメノマナイが更新される頃は、次の日本のリーダーが決まるかどうかのタイミングなのだろう。

みなさんは現在の日本の社会の空気を、どのように感じているだろうか。

 

「右か左か」「保守かリベラルか」。それぞれが視点の違う「正義」を掲げ、対立し、分断が深まっていく――

このような時代の中で、わたしは改めて「和を以て貴しとなす」という言葉の意味を最適化したいと考える。

 

この「和」の精神を象徴するものとして、今回わたしが取り上げるのは、日本の国歌である「君が代」だ。

 

この歌には、千年~万年を超えて受け継がれてきた、日本人の「精神の核」となる知恵が宿っている。

そこで今回、君が代の本当の意味とその歴史的背景を掘り下げ、現代に生きるわたし達がそこから何を学ぶべきかを共に検証してみよう。

 

 

【一、誤解される「君が代」】

 

わりと近年に行われたのだが「広島県の高校生400名を対象に実施されたアンケート」調査によると、なんと87%もの生徒が「君が代」の歌詞を学んだことがないと答えている。

そして、その多くが「暗い」「戦争」「怖い」といった否定的なイメージを抱いているという結果も出ている。

 

さて、彼ら・彼女らは歌詞を知らずして、どうしてそのようなイメージを持ったのだろうか。それは「君が代」を「悪しき歌だ」と教師に教えられているからである。この現象は特に「公立校」で顕著に表れる。

これは方向性が真逆なだけで、WW2の戦中に「鬼畜米英」と教えられた時代と構図としてよく似ている。

 

正しくは、右か左かで争うのではなく、まずは「知ってから判断する」ことこそが、バランスの良い理解なのである。君が代の歌詞を、正確に、科学的かつ歴史的に考えてみよう。

 

 

【二、「さざれ石」が語る自然と調和の精神】

 

「君が代」の歌詞に登場する「さざれ石」という石だが。これは単なる比喩的表現ではなく、現実世界で実際に存在する石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)という岩のことであり、例えば「岐阜県」では天然記念物としても保護されている。

雨に含まれる石灰分が、数億年という年月をかけて、小さな石を結び、大きな岩に成長していく――その過程こそが、まさに“和の力”の象徴的現象なのである。

 

小さな石たちが結びつき、大きな岩となり、やがて苔むす。これは、暴力や支配ではなく「つながり」や「調和」「持続」を歌った歌なのであり、決して戦争を賛美したものなどではない。まったく異なる至高の表現だ。

 

 

【三、「君が代」の本当の歴史】

 

「君が代」の歌詞の原型が日本語で初めて書かれたのは「平安時代」という説がある。

文徳天皇の皇子「惟喬親王」に仕えていた石位左衛門という人物が、岐阜県のさざれ石を見て、その感動を 「わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と大和言葉の和歌で詠み、それが「君が代」の歌詞の起源となったという説だ。

 

さらに「楽曲」として「君が代」の起源を遡ると、平安時代中期に関白太政大臣・藤原頼忠の長男「藤原公任/ふじわら の きんとう」が、節をつけて声高く詠んだ歌に辿り着く。

 

古代ヘブライ語由来の説ではなく大和言葉の由来説としては、これが現代日本の国歌「君が代」にかなり近く、原型にもなったようだ。

 

その後、鎌倉時代や江戸時代を経て「君が代」は神事や宴席、祝いの場で歌われる「お祝いの歌」として、広く庶民にも親しまれることとなった。

 

さらには、江戸時代に「恋愛の小唄」として歌われていたという記録が残っている。このように「君が代」は決して「戦争の歌」などではなく「祝福」と「平和」に満ちた歌であった。

 

明治時代になって薩摩藩の武士たちによって「国歌」として選ばれた歴史があるのだが、その背景には、すでに庶民に親しまれていたという事実があったのだ。

 

 

【四、「平和な国歌」としての世界評価】

 

作曲家・黛敏郎氏はこう述べている。

 

「君が代は平和を賛美し、その中で日本の未来が永遠に続くように祈る歌だ。」

 

アメリカ、フランス、中華人民共和国などの国歌には「敵を倒せ」「血を流せ」といった戦闘的な言葉が並んでいるが「君が代」にはそのような言葉は一切存在しない。

 

君が代は千年以上にわたって「平和と持続」を祈る静かな国歌として、世界中でその価値が認められている。

 

内藤孝敏氏も次のように語っている。

 

「63%の国民が支持する歌を他に作ることはできない。歌い継がれてきた背景には、日本人の本質がある。」

 

君が代は単なる歌ではない。それは日本人の精神そのものであり、時代を超えて愛され続けてきた。

 

 

【五、「古臭い」のではなく、時代を超えている】

 

「君が代は古臭い」という意見がある。

 

しかし“古い”と“古臭い”は全く異なる。例えば「モーツァルト」の音楽は古いが、決して古臭くはない。

君が代は「流行歌」ではない。だから数十年で色褪せる歌ではなく、千年以上の長きにわたり、その意味と価値を保ち続けてきた。

 

逆に、昭和時代に提案された「緑の山河」などの新しい国歌案は、令和の今ではほぼ誰も知らない。

「流行」は時代を超えることはないが「本質」は時代を超えて、なお生き続ける。

 

 

【六、「君が代」は天皇制の押し付けかなの?】

 

君が代が「天皇制賛美の歌だ」と誤解する人がいる。

だが、政府の公式見解はこうだ。

 

「君が代は、天皇を象徴とする日本国、および日本国民の繁栄と平和を祈る歌である」

 

これは憲法第1条に基づいた、とてもバランスの取れた解釈であり「君が代」が天皇個人を賛美するものではないということだ。

 

昭和天皇は戦争終結を決定した際、次のように詠んでいる。

 

「身はいかなるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて」

 

この一首に込められた大御心こそが日本国の天皇に求められる「在り方」なのであり、民を宝として尊ぶ心そのものなのである。

 

君が代は、天皇と国民の“つながり”を象徴する歌なのだ。

 

 

【結、分断ではなく“和”の心へ】

 

令和の今、わたし達が「君が代」をどう感じるかは、それぞれ個々の自由である。しかしその前に、まずは正しい歴史と背景を知り、一人ひとりが自分自身の心で考えることが大切だ。

 

それこそが、左右に偏らない「知性」というものであり、日本の伝統的な精神――“和を以て貴しとなす”という教え、そのものである。

 

現代、わたし達が直面しているこの時代にこそ「和」の心を持って、日本国民の精神性が一つに繋がり再生する必要がある、このようにわたしは強く感じている。

 

「君が代」は、そのことを時を超えて、日ノ本の民に静かに語りかけているのではないだろうか。

 

 

秀麻呂