- 日本が世界に誇る古代の叡智 -

2025/07/01

 

さて今年は、観測史上最速の「梅雨明け」となったそうだ。いまや日本は「なぜか『冬』はあるけど亜熱帯」とも呼ばれ始めているが、こんな現代だからこそ「世界を導く “古代日本”の叡智」が海外での注目も感じている。

 

そこで今号のコラムでは、古代日本文化の素晴らしさに気づいた西洋人と、対するその価値を見失った日本人を比較検証してみようと思う。

 

英語圏の研究者と共同で道徳(モラル)の研究をしてみたり、英語で日本文化の魅力を世界発信する原稿に協力したり、現実に体感するのは、2000年代以降がとくに顕著なのだが、日本人には残念な現象が起き続けている。

 

素晴らしい日本の伝統や文化など、日本には日本の良さがたくさんあるのに、教育とプロパガンダによるコントロールで日本人自身は気づいておらず、むしろ西洋人がその魅力を発見し、結果的に現代日本人が逆輸入的に教えられる。そんな逆転現象がかなり増えている、という点である。

 

例えば・・・

 

 

歌手のマドンナが実践していると話題を席巻した「マクロビオティック」は、そもそも日本の「食養学」の一部を抜粋して英語圏で公開したものに過ぎず、結果的に世界的な和食ブームを引き起こし、現在に至っている。

 

ルイ・ヴィトンは「ジャポニズム」が流行、日本の家紋から着想を得てあの有名な「モノグラム」のデザインを考案した。

 

シャネルの名言「白と黒には勝てない」は、今から500年以上も前に「千利休」が提唱した『余白』 の概念をそのまま転用した。

 

Appleの創業者、故・スティーブ・ジョブズは若い頃から仏教徒で「曹洞宗」に傾倒し、日本人の師には豪邸を提供してマンツーマン指導で教えを受けるほどの熱中ぶり、思想をビジネスと人生双方に取り入れていた。結果、世界に類を見ない美しいデザインと独自のビジネスモデルで大成功した。

 

GoogleやIBMがこぞって採用する「マインドフルネス」は、そもそも「禅」の概念である。

 

 

現代日本人が“欧米礼賛主義” によって失ってきた日本の優れた古典文化に、現代西洋人が熱中しているという皮肉な結果。それが今の日本である。

 

幼少期から都合よくコントロールされてきた大多数の日本人は、西洋人によって逆輸入されたジャパン・コンテンツを見ては「新しい!」と感動している、本末転倒の「波」に飲み込まれているわけだ。

 

すでにいつでも取り出せる状態で「膨大な宝」が眠っているのに、である。これはとてももったいないことである。

 

 

西洋文化ばかり追いかけ続け、グローバル化にすっかり取り込まれてきた多くの現代日本人は、伝統的な日本人のDNA、いわゆる「感性」を失いかけている。

 

どうしたら、この感性を日本人に力を与えるアイデンティティを取り戻すことができるのか。

 

例えば『万葉集』である。例えば『古今和歌集』である。日本人の感性がありのままに表現された、日本文学の原点に立ち返ると手っ取り早いようだ。優れた日本文化は西洋と比較することによって、深く理解することができる。

 

別の見方をすれば、これからのパラダイムシフトたる時代を生き抜いていく上では、日本人である我々のほうが西洋よりも有利といえる。長い歴史がある分、アドバンテージがあるわけだ。

 

このことを現代日本人はもっと知るべきなのだろう。

 

 

例えば、日本特有の“自然観” は西洋にない日本人独特のアイデンティティであり、世界に誇るべき日本の叡智の一種である。

 

いま西洋文化を追うのは「もう飽きた」という若者が増えている。そういう視点では、中高年世代こそ日本人が長きにわたって受け継いできた、優れた文化の “DNA” に気づかないと、今後は生きにくい時代なのであろう。

 

日本人にしかない強みを活かして、地球規模で活躍する。そんな日本人が増えていくべきなのである。そして、子供や孫に日本の文化や伝統を受け継いでいくのだ。DNAをしっかりと引き継いでいくのだ。

 

 

我々「世尊寺流」や「神心書道」に限らず、学問・学術というのは「万人のためにあるもの」だと思っていい。

 

それはつまり、すべての人は「自学自習にこそ本質がある」「自分の頭で考えなきゃいけない」ということでもある。マニュアルと模範解答ありきのワンパターンな人生など「ウソっぱち」ということが、2025年現在、まさに日本人の生活環境で証明されているではないか。

 

日本から海外に出ると、宗教やイデオロギーというのは「教祖」や「指導者」と呼ばれる「偉い人」がいて、「人間とはこういうもの」「社会とはこうあるべき」という教えを授ける。

 

でも、ちょっと間をとって考えてみたらいい。これは「支配」を目的としていることがわかる。対する「古代日本」は「八百万の神」と「自然信仰」の国であり「共助」を目的としていた。

 

本来の日本的な感覚だと、今日どうやって仕事して、何を食べて、どう休むかというのは、全部自分で決めるのが正しい。体のケアも、メンタルのケアも、まずは自分で考えてやる。それが正しい思考のスタンスだ。

 

教祖や先生と呼ばれる人たちが「決められない症候群」の「甘ったれ」を面倒見てくれることは、無いのである。たまに面倒を見たフリをするが、必ず何らかの理由があり、それは一時的である。

 

 

すべからく。

 

人は、自分で学んで、自分で考えて、自分の人生を自分で作っていく。全員が自分の人生のプレイヤーなのである。

 

そうなると、社会活動も自然と面白くなっていくし、活性化していくし、内外の調和もとれていく。

 

ようするに「自立心」が「開運招福」の根本的な素養なのである。

 

 

秀麻呂