-「○○維新」は昭和でも起こりかけた -

2025/08/01

 

 

みなさんは「昭和維新」という運動があったことを、知っているだろうか?

 

 

誰もが知っている「明治維新」の方は、武士が刀を新政府に取り上げられて、廃藩置県による中央集権体制が始まり、西洋式の文明国家へと歩み始めた。そんな日本史の大きな転換点であったといえよう。

 

だがその後「昭和」になって「もう一度、維新を起こそう」とした人たちがいた。このことを知っていたなら、あなたの学生時代はかなり勉強家だったことだろう。

 

「昭和維新」運動は実際にあった日本の史実である。

 

 

昨今、直近の参議院選挙でもわかるように、日本ではいよいよ国民の怒りがピークに至り、マスコミを使ったガス抜きも「テレビを見ない、新聞は読まない」という世代には効果ナシ、下手な小細工は逆効果。さて「北村弁護士」がいい例だが、いよいよ各地で蜂起するリーダーが表舞台に出てくるか?という時期なので、今回はこの「昭和維新」運動を振り返るコラムを書いてみよう。

 

 

その前に。まずは日本国民の「識字率」を大幅に引き上げた、江戸時代の「寺子屋」制度に遡るところから解説しよう。

 

江戸時代、当時日本人の大衆層は「寺子屋」で、当たり前に教育を受けていた。読み書きを学び、儒教にも親しんでいた。『大学』『論語』『中庸』『孟子』などの書物を音読し、「人としてどうあるべきか」を自然と学ぶ教育が当たり前に行われていた。

 

寺子屋の授業料というのは、指導者たる「師匠への妥当な金額」を把握するために、子の親が近所で話しを聞いて、ようするに入門者の親が判断した。相場は江戸の街中で二百文から三百文、懐事情に余裕があれば二朱、大店などの「富裕層」は一分を包んだという。

地方では現物払い(酒、赤飯、そば、うどん、餅、するめ、季節の野菜や果物など)が多かった。

 

寺子屋というのは、師匠の生活があまり楽ではない。寺子屋の大多数は「小規模経営」だったのが主な理由だが、師匠たちは地域の名士として尊敬されるものの「楽な暮らし」というわけではなかったのだ。これは学問を金にするという発想が、当時の価値観にはなじまないものだったからだろう。

 

そして寺子屋での学びは、単なる知識習得が目的ではなく、当時の日本における「人格形成の柱」 の学舎とされていた。

 

 

その後、明治維新ののち。時代の流れが大きく変わる。福沢諭吉、森有礼といった日本近代化の立役者たちは「近代国家を作るには西洋人と同じように何ごとも考えねばならない」と妄信した側面がある。「儒教的な価値観は封建的で、前近代的だ」と主張した。

 

そして、儒教は「時代遅れの思想」「封建的な道徳」として切り捨てられ、教育現場から徐々に姿を消していくことになる。

 

明治期の流れを引き継ぎ、大正時代に入ると、いよいよ「西洋化礼賛」が社会全体を覆うようになった。

 

「自由」「個人」「民主主義」といった西洋思想が進歩の象徴となり、日本古来の思想や道徳は「後ろ向きなもの」 として扱われていくことになる。

 

明治初期の古い新聞を見ると「七夕なんて今どきやってるのは野蛮だ」といったことが書かれていたり、お正月に餅を食べること、初詣に行くといった慣習までが「封建的で時代遅れだ」として排除されかけた時期がある。

 

ここで、日本人の精神的土台が大きく揺らぎ始めた。そうした風潮に異を唱えたのが、昭和初期の知識人・青年将校たちであった。

 

彼らの考えはこうだった。

 

今の日本国に必要なのは「もう一度、原点に立ち返ること」なのではないか?

 

「日本古来の精神教育を学び直し、立て直さなければ日本国が崩壊する」

 

こう考えたわけだ。

 

つまり、昭和維新運動は「政治運動」ではなく、日本人の“精神の再興” を目指す知的ムーブメントだったのである。

 

さらに、この時代には、日本独自の思想研究が盛んになった。たとえば、後期水戸学と呼ばれる学派では、儒教と日本史を融合させた「日本的道徳性」の確立が試みられた。

 

江戸時代中期に書かれた佐賀・鍋島藩の武士道書『葉隠(はがくれ)』のような書物が脚光を浴びて、再び読まれるようにもなり、日本人が「どう生きるべきか」「何を信じるべきか」を真剣に問い直す動きが全国に広がっていった。

 

 

しかしその後。

 

WW2の敗戦によってこのムーブメントは突然終わった。1945年の敗戦によって突如として「昭和維新運動」は断絶したわけだ。

 

GHQ占領下の日本では、神道どころか儒教や武士道まで全部ひっくるめて「日本が戦争に至った危険思想」のネガティブ・コンテンツとして、ひたすら排除された。

 

戦前まで普通に読まれていた書物の多くが、GHQの焚書処分リストに載せられ、思想としての日本の哲学は教育現場からも社会生活からも姿を消していったのだ。

 

そして、現在だ。

 

日本は豊かになったはずなのに、価値観は揺らぎ、教育には「土台」が見えなくなっている。だからこそ、今はもう一度。日本人は精神面において原点に立ち返ってみる必要があるのではないか。

 

かつて日本人が「当たり前に」学んでいたもの。それは「生き方」 そのものを学ぶ機会であった。

 

戦前の日本人が「人格の基礎」として学んでいたことを、現代日本人の視点から丁寧に学びなおすべき時代が来たのだろう。

 

日本から失われた 、日本人の「学びの原点」 を体感する。それこそが神心書道でもあり、全国各地に今も残る修道各派でもある。「書」だけが「修道」ではない。華道・茶道・柔道・剣道・etc・・・こういった修道の本質は、人間性のスキルアップであり、魂のレベルアップである。

 

せっかく神心書道という「書」の修道を選んだのだ。

 

みなさんには、そんなことを思いながら、ぜひより良い修道に励んでいただきたいと思う次第である。

 

 

秀麻呂