- Takemikazuchi -

◆建御雷神(タケミカヅチノカミ)

 神代文字:天日草文字×天津神字

  

御利益 

雷神。勝利繁栄・武道上達・殖産興業・航海安全・病気平癒・延命長寿・交通/航海安全・国家鎮護・除災招福・所願成就

※日本最高の武神。戦闘力はスサノヲと双璧です。剣神・軍神でもあり、特に「戦う」という場面で重要な神です。

祝詞

かけまくもかしこき たけみかづちのおおかみ の ひろまえに 

かしこみ かしこみ も もうさく 

きよきこころの まことをさきとし かみよののりをあがめ

まさにすなおの もともとに かえりよりし 

よこしまの すえののり を すてて  

いまかみの みちの たえなるわざを きがんたてまつり 

たたえごとを たてまつる このさまを 

たいらけく すらけく  きこしめして 

こころやすく もろもろの やまいふつにのぞき 

いのちながく のびさいわい まどかにして 

いえのうち うからやからともとちまでも 

ことゆえなく おろかなるこころを あかしめたまい 

やすくまめやかにして めくじとをぼす こころを たれたまえ と 

かしこみ かしこみ も もうす

 

 

解説 

聖剣・十握の剣(とつかのつるぎ)を自在に操る、天上界の神々の中で「最強の武神」と云われた神。それが「タケミカヅチ」です。雷神の長であり、軍神・剣神です。出雲で行われたタケミナカタとの勝負は「相撲」の元祖とも云われています。太古より地震大国だった日本では地震神「大鯰神(オオナマズノカミ)」を暴れないよう制御している存在とされており、タケミカヅチがうっかり制御を忘れると地震が起こるとされていました。(別名:建御雷之男神、建御雷神、武甕槌神、武甕雷男神、建雷命、建布都神、豊布都神、鹿島神、など。)

 

 

タケミカヅチは鹿島神宮と全国の鹿島神社、春日大社と全国の春日神社、石上神宮、真上神社、古四王神社、志波彦神社、塩釜神社、椋神社、大原野神社、吉田神社、枚岡神社、などでお祀りされています。アマテラスがオオクニヌシに平和な国家統一を成すためと国譲りを求めた太古、計画が何度も何度も失敗に追い込まれていた天上界が、武力行使も止む無しとなった段階での最後の使者。それがこの武神・タケミカヅチでした。オオクニヌシはそもそも戦争が嫌いな神でしたが、当時は既に周辺の兄弟神たちの国々と争い事がかなり深刻化しており、もう武力で鎮圧しなければならない状況が差し迫っていたタイミングだったと推察できます。そこで、自国より強大な武力のタケミカヅチ率いる天津神からの併合案を受け入れることで、兄弟神たちも含めた全ての国々の統一を頼み、それによりもう血を見ることなく平和国家が築けるのではないか?このように考えたのでしょう。余談ですが、後年になってこの「才と徳を備えた強大な武力こそが民の平和を創り守る」という発想をした戦国武将に「天下布武」を掲げた「織田信長公」がいます。

 

 

タケミカヅチがオオクニヌシと交渉をする際、伝言として「汝ウシハクこの国は、我が御子のシラス国ぞとアマテラスが仰せである」と切り出しました。「ウシハク」とは争うことによって力づくで国を治めるという意味です。力で国を治めることはできるが、そうすると、民は強い者の所有物になってしまう。民は死すまで王の所有物として生きていかなくてはいけない。アマテラスは「それではダメだ。これからはシラス国の時代なのだ。」と言います。「シラス国」とは、民が主役となった慈愛に満ちる国、という意味です。タケミカヅチの言葉では「アマテラスがシラス国を作るべきなのだと言っている」とのことです。なんと、これこそ「世界最古」の「真・民主主義」思想であったと推定できます。これまでオオクニヌシは、武力に勝る天上界と互角以上に渡り合い、巧みに天上界からの使者(軍)を自軍に引き込んできましたが、この言葉を聞いて「それこそがわたしの求める国なのだ!」と感じ入ったのでしょう。しかし・・臣下の神々を納得させるのは容易ではない。そこでタケミカヅチに「では、私の息子たちに訊いてくれ。(説得してくれ、の意)」と言いました。オオクニヌシの息子二神の兄神、コトシロヌシは冷静で頭脳明晰だったのですぐに意図を理解して「そういうことであれば、わかりました。」と要求にすんなり同意します。しかし弟神のタケミナカタは、その当時は台風をも操る風神であり地上では最強と云われた武神・軍神で、仁義に熱い激情家でした。「どうして他国の奴らに国を譲らないとならないのか!」と激昂します。そこで、戦争に発展することなく平和に解決するため「タケミカヅチ VS タケミナカタ」の代表同士による1対1の勝負で可否を決めようということになりました。これこそが相撲の起源であり、実は出雲地方が「相撲」発祥の地なのです。(本来、相撲発祥の地は、江戸ではありません。)

 

 

その後。雷神・タケミカヅチとの勝負には風神・タケミナカタでもあっさり敗けてしまいます。この敗けは真偽についても諸説ありますが、タケミナカタの真の実力を推し量るに後年で「東の軍神、鹿島・香取・諏訪の宮」との伝承が数多く残っていることからタケミカヅチ(雷神)とタケミナカタ(風神)の武力は「ほぼ同等」であったと考えられます。古史古伝を総体的に検証すると、タケミナカタは父神・オオクニヌシの思うところに気づき「戦いもせずに降伏するのは気に入らない。だが、確かにそれがこの国にとって一番の方法か・・」このように理解したため、臣下の神々から納得を得るために形だけの勝負を行い、負けるために勝負をした。このように考えられます。いずれにせよ、この勝負が決着したことにより古代日本の統一に向けた「国譲り」の交渉は平和に完結したわけです。タケミカヅチは日本最強・最高の武神と云われ、それは確かなことです。が、神々の末裔である私たちにとっては「タケミカヅチ」も「タケミナカタ」も、子々孫々まで平和な日本国家の国造りを一番に考えた「正義・仁義の神」であったと考えてよいでしょう。その証拠に、今ではタケミカヅチとタケミナカタは無二の親友です。

左上:タケミカヅチとタケミナカタの相撲絵

右上:雷神の長「タケミカヅチ」の具現化

右下:鹿島神宮(茨城県・鹿嶋市)

左下:宮司によるご祈祷