- Amanokaguyama -

◆天香山命(アマノカグヤマノミコト)

 神代文字:天日草文字×大神神字

 

御利益

援助神。地域振興・発展・繁栄・縁結び・開運・健康長寿・研究開発・農商工業・所願成就。

※戦国大名・関東管領「上杉謙信」が崇拝した神です。近年は「宝くじ」の的中を祈願する神にもなりつつあるようです。

祝詞

かけまくもかしこき いやこのおおかみ の ひろまえに 

かしこみかしこみ も もうさく

きよきこころの まことをさきとし かみよののりをあがめ 

まさにすなおの もともとに かえりよりし

よこしまの すえののり を すてて 

いまかみの みちの たえなるわざを きがんたてまつり 

わがくにはじめの はらいをもちて 

たたえごとを たてまつる このさまを 

たいらけく すらけく きこしめして 

こころやすく もろもろの やまい ふつにのぞき 

いのちながく のびさいわい まどかにして 

いえのうち うからやから ともとちまでも ことゆえなく 

おろかなるこころを あかしめたまい 

なにわのことも たるとおもうより 

たのしき は なければ たること を しらしめ 

うしうまの ひずめにいたるまで やすくまめやかにして 

めくじとをぼす みこころを たれたまえ と 

かしこみ かしこみ も まをす

 

 

解説

アマテラスのひ孫神にあたり、神代「天孫降臨」のさいアマテラスが地上に送った孫神「ニニギ」をリーダーとする一行、神々33柱の1柱。(ニニギを除くと32柱。神は「○人」ではなく「○柱」と数えます。)父はアマテラスの息子「アマノホアカリ」で、叔父は天孫降臨の主役「ニニギ」という超良血の神なのですが、自らは別名にある「夜」の一字から今ではナイトワークの守護神ともいわれます。近年は、高倉下命(たかくらじのみこと)の別名にかけて「宝くじ」の的中を願う人もいるようです。

(別名:高倉下命、伊夜日子大神、伊夜比古大神、伊夜彦大神、天香語山命、天賀吾山命等、など。「ア(メ)マノカゴ(グ)ヤマノミコト」とも。親しみを込めて「やひこさん」「いやひこさん」「おやひこさん」とも呼ばれます。)

 

アマノカグヤマは、彌彦神社、弥彦神社、伊夜日子神社、魚沼神社、尾張戸神社などでお祀りされています。神武(ジンム)天皇(日本の初代天皇)の時代には、東征に随行し越後(現在の新潟県)の国の開拓、製塩・製油・農業・漁業・酒造等、諸産業の振興発展において人々を導いた神とも云われる、越後一宮・弥彦神社の御祭神です。現在は関東以北最大の繁華街、北海道札幌市・中央区の「豊水・ススキノ地区」を鎮守する神でもあります。江戸時代後期の国学者「平田篤胤」が、彌彦神社には「聖徳太子が記した神代文字が存在する」と主張していましたが、その貴重な文書は残念ながら明治45年に火事で焼失してしまいました。

 

古くから人気が高い神で、万葉集には「いやひこおのれ神(かん)さび 青雲(あおくも)の棚引く(たなびく)日すら小雨そぼふる」「いやひこの神(かみ)の麓に今日らも 鹿の伏すらむ皮服(かわごろも)着て角(つの)つきながら」等と詠まれるほどでした。日本神話での登場は比較的遅く、古代、神武天皇が東征の際、紀伊国(現在の和歌山県)熊野にお立ち寄りになられた項で登場します。神武天皇一行の道中、熊野に毒を吐く悪神(熊神)がいたため、天皇一行が病に倒れてしまいます。この時、高倉下命(タカクラジ)の名で熊野に住んでいたアマノカグヤマが、天上界からのメッセージを受けて神武天皇一行を危機から救うことになります。

 

その頃、天上ではアマテラスがタケミカヅチ(建御雷神⁼雷神の長であり、天上界No,1の武神)に神武天皇一行を助けて、地上の騒ぎを鎮めてやって欲しいと頼みます。しかしタケミカヅチは「いや、そのくらいのことでわざわざ自分が降りて行くとアマテラスの子孫たる御子(神武天皇)を甘やかすことになる。布都御魂という國を平定した時に使った良い霊剣があるので、これを地上に降ろして彼らに自力で解決させたらよろしい。」と言いました。そしてタケミカヅチは当時、熊野に住んでいた高倉下命(=タカクラジ)に神託を授けます。「この布都御魂という霊剣をお前の家の倉に落とし入れることにする。お前は明日の朝、目覚めたら天つ神の御子(神武天皇のこと)に献上しろ。」 ・・と夢の中から命じました。

 

目が覚めた高倉下(=タカクラジ)は、蔵の中に本当にその剣があるのを見て、タケミカヅチの神託がただの夢ではなかったことを悟り、急いで神武天皇一行の元に走り布都御魂を献上したところ、その剣のもつ神力により天皇や一行の病がみな治ったと云われています。この後に、アマノカグヤマは神武天皇の親友・参謀となり東征に随行することになりますが、その道中で立ち寄った越後の地がとても気に入ったので自らが神坐ることとし、越後の地で守護神となりました。

左上:越後一宮・彌彦神社(新潟県・弥彦村)

右上:霊剣献上之図 作:平澤定人

下:玉の橋(彌彦神社境内)