- アマテラスの教え -

 

 

私は世の人より守護神が多い方なのだが、嬉しいのは天照大御神ことアマテラスが守護神の一柱であることだ。

 

このアマテラスだが、実は、世間一般に思われているようなイメージの神ではない。

 

美しく、モデルのような容姿で、頭脳明晰・明朗快活、女神だが武勇にも優れており、運動神経は抜群...と、ここまではそれなりに合致している。

 

だが。大酒飲みで、あわて者。公式には上品なふりこそしているが、実はかなりのおてんばだ。料理は下手で、掃除などしたことがない。露出の多いファッションが好きなのだが、かなり飽きっぽい。寝つきは良いが寝起きが良いことはめったになく、船に乗るのはあまり好きではない。そして、いわゆる「カナヅチ」である。運動神経は抜群なのに泳げない。

 

それでも私は、そんなアマテラスが大好きである。なんといっても性格が「ほがらかで、大らかで、明るい」のである。

 

さて、人はどうか。

 

一人の明朗な心は、その人の精神だけでなく肉体にも健康の根源なのである。そして家庭の健康、交際の健康、学業の健康、商売の健康、事業の健康、社会の健康、すべての健康の元である。

 

沈んだ、暗い、弱々しい、そんな心の持ち主はだいたいの場合「カラダ」もあまり丈夫ではない。健全な精神は健全な肉体に宿る、というが、その逆もまた然りである。

 

じめじめとした心は、鈍りを産む。生活にハリをなくし、何ごとにも気後れしやすい。決断力は鈍くなり、なにをやっても「うまくいかない」と口にする。

 

あたりまえである。

 

明朗の心は大事なのだ。一日も、一時も、いや一分たりとも曇らしてはいけないのが「人の心」なのである。

 

朝は起床したらほがらかに食事をとり、昼はほがらかに自らの生業に励み、夜になればほがらかに就寝するのだ。昨日も明るく、今日も明るく、明日も明るい。

 

自らも、友人も、家庭も、学校も、職場も、役所も、工場も、電車の中でも、バスの中でも、ほがらかに明るい。

 

すると街が、国が、世界が、地球が、春のようにほがらかに、太陽のように明るく、健康になる。発展し、成長し、盛栄となる。

 

神の恵みとは「己が救われる」というだけの小さなものとは限らない。

 

善い神なら一人を救うと共にその周囲の人々をも救おうとするものだ。明朗こそは、己が救われる光の玉であり、己の光の玉で人もまた救われる。そして光の玉が集まり世が光明に溢れるのだ。

 

ほがらかな人の心は、世の曇りを照らす光である。明朗は「万(よろず)善し」なのである。あらゆる健康の元である。

 

人が生まれ、それを育て、やしなう。これは「親」の愛である。恋愛し、交際し、家庭をつくり、社会を営み、人の世の幸福と文化を生み出すのが「人」の愛である。

 

ゲーテ曰く「親切は社会と社会をつなぎ合わせる金の鎖である。」なのだ。

 

ラスキン曰く「愛と信頼は万人の魂にとって唯一の母乳である。」なのだ。

 

母乳と違うのは、愛はいくら出しても尽きることなどない。むしろ出せば出すほど、良いものとなっていく。

 

パンであれば、愛という名のパンは、いくら分け与えてもなくならない。むしろ、分け与えるほどに返礼も多く、その量が増えていく。

 

母乳と同じなのは、愛は与えないと枯れる。井戸の水と同じく、汲み上げねば腐るのだ。

 

愛の蔵を「無尽蔵」といった人がいた。うまいことをいう。愛によってすべての人が、それぞれの個性のまま、育ち栄えることをアマテラスは望む。

 

愛が満ち溢れて、誰もが自らの立ち位置を得ている有様を「和」といった。だから日本には「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の言葉が今も残る。

 

誰もが言いたいことはハッキリと言う。しかしそこには、うらみも、そねみも、争いもない。ほがらかで満ち足りた喜び。これが「和」である。

 

自然を見よ。葉っぱ一枚とて調和しているではないか。春の草花、夏の栄え、秋の実り、冬の落葉、これも和の姿である。

 

「原因と結果」の関係は「愛と和」の関係だ。愛は万物を産み育て、和が万事を結実成就させている。

 

そのために。あなたも「ほがらか」であれ。

 

 

秀麻呂