2026/04/01
春というのは、いつの時代も人の心を揺らす季節である。
世界を見渡せば、ニュースは相変わらず騒がしい。最近では中東情勢、とりわけイランを巡る騒動が大きく報じられている。
宗教、民族、国家、利害。
それぞれが自陣の視点で「正義」を掲げ、互いに譲らない。
こうしたニュースを見るたびに、私はいつも思うことがある。
「日本という国は、ずいぶん不思議な国だな・・・」
これである。
なぜならば、日本では「宗教」を理由に大きな争いが起きることは、ほとんどないのである。
神社に参拝する人もいれば、寺に行って仏に手を合わせる人もいる。クリスマスを祝う人もいるし、神棚に手入れした榊をこまめに供えている人もいる。
そして、日本では国民の誰もがそれを不思議なことだとまったく思わない。世界の歴史から見れば、これは実に珍しい文化である。
例えば4月=新年度のスタートという、日本人の原点たる季節の嗜好性。超古代においての4月は、日本人にとってどんな季節だったのだろうか。
古代の日本では、4月は「生命の起動する月」という解釈であった。
山々の雪が解け、田畑には水が巡り、人々は田の神を迎える。日本列島において、農村では「山の神が田の神になる」と言われ、春は神々が里に降りてくる季節と考えられていた。
だからこそ、日本人は春のこの時期には祭祀を行い、酒を供え、歌い、踊った。
つまり4月は、毎年の自然と人と神が、動き出す月なのである。
現代の私たちは会社の決算や確定申告、年度替わりや入学式で4月を感じるが、その遥か以前の超古代から、日本人は4月を「新しい起点」として生きてきたのである。
この感覚は、私たちのDNAに残っているのであろう。
そんな中、世界では今、大きなパラダイムシフトの途中にある。世界を見れば、政治も、経済も、価値観も、すべて大きく揺れている。例えば・・
AI革命
地政学上の力学変化
経済の構造変動
人口構造の変化
まさに時代の大きな「パラダイムシフト」が起きている。これまでの常識が、次々と書き換えられていく。
しかし、日本人はこういう時代と直面する度に、強さを発揮する民族だったように思う。なぜなら、日本文明そのものが「柔らかく変化する文明」だからだ。
なぜ日本は、一神教ではないのか?世界の多くの文明は「唯一の神」を中心に構築されてきたのに、だ。
唯一の神
唯一の真理
唯一の正義
それゆえ、信じた「正しさ」を巡って争いが起きやすい。しかし日本では、そうならなかった。
山に神がいる
川に神がいる
田に神がいる
家に神がいる
「八百万の神」=かぞえきれないたくさんの神々がいる日本列島・・つまり日本における神の世界というのは、やたらと人口密度が高いのである。
神がたくさんいる。だから、席の取り合いをしない方向で考えるわけだ。
山の神は山を守り
海の神は海を守り
火の神は火を守る
この分業システム的な思考が、日本文化における大きな特徴である。そしてこの考え方は、日本人の社会観に反映されている。
「和を以て貴しとなす」
聖徳太子の考案した「十七条憲法」の第一条にはこう書かれている。この一行が、日本文化の核心である。
しかし、ここで指し示している「和」は、単純な仲良しごっこの推奨ではない。
意見が違う者同士が、知恵を出し合い、折り合いをつけ、より良い最適の解答を考案する。
それが「和」である。
神がたくさんいる国だからこそ、人間同士も「共存型社会」を作ってきた。これは現代における世界観において、非常に先進的な思想といえるだろう。
日本の神は、実に太っ腹である。そして日本の神は、なかなか面白い。怒るときは烈火のごとく怒るが、基本的にはかなり寛容だ。
だから「願い事」も自由自在である。
健康祈願
商売繁盛
恋愛成就
交通安全
受験合格
etc・・・
世界の宗教では「そんな願いは神にいうべき事柄ではない」と言われるケースがほとんどであろう。
しかし日本の神は違う。
「まあまあ、ええやないか」
人生を生きる人間の願い事は、全部まとめて受け止めてくれる。だから神社の境内には、いつも笑顔がある。
これは「日本文化」の素晴らしいところだ。と、わたしは思う。だから、日本人たる者ならば、たくさん「神社」に行こう。
世界が騒がしい時代だからこそ、私は思う。みんな、神社に行こう。
理由は単純である。神社には静けさがあり、自然があり、祈りがある。そして何よりも自らを清めて整える、ポジティブな時間がある。
例えば、参道を歩き、鳥居をくぐり、手を清め、神前で頭を下げる。それだけでも、心の雑音が少し消える。
すると不思議なことに、「よし、また頑張ろう」という気持ちが自然に湧いてくる。
4月、新しい自分のスタート。4月は、新しい一年の始まりでもある。
古代の日本人がそうだったように、私たちもまた、この季節に心を新しくしたい。世界がどれほど変わっても、だ。
自然は巡り、桜は咲き、神はそこにいる。そして私たちは、今日も生きている。だからこそ、今日も一日。
より真剣に、
より楽しく、
より元気よく、
精進していこうではないか。神は、けっこう近くで見ているものである。そして心を新たにしたあなたには、こう言っているはずである。
「よし、その調子だ」
さあ、4月の春、真っ盛りである。神社に行こう。
そして、胸を張って精進していこう。
秀麻呂
